ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

貴公にだけ、内緒で送る言葉

・仕事は人生ではありません。

 仕事は人生ではありません。金銭を稼ぐ一時的な手段にすぎません。金銭を稼ぐことは人生ではありません。食事が人生ではなく、その一部にすぎないのと同じように。

 食事をする時間が長ければ長いほど、その人は「よく生きた」と言えますか? いいえ、言えません。だって、もしそうなら、休日はずっと食卓の前に座り、食物を胃に詰め込み続けるのが「正解」ってことになるでしょう。そんなことは絶対にない。

 同様に、仕事に従事した時間が長い人が偉いとか、スゴイとか、そんなことはまったくの嘘なのです。

 仕事の質、量、報酬を自慢する人は、食事にかけた時間、食事のおいしさ、食事の値段を自慢している人なのです。ありていに言えば、獣の仲間なのです。われわれはともすれば獣じみた生に惹かれがちな性質をもっていますが、理性でそれを打破しなくてはいけません。世間の言うことはたいてい、間違っています。世間は賢者ですか? 世間は古今東西のあらゆる哲学を渉猟し、あらゆる実践を積んだ総体ですか? いいえ、そうではありません。世間は愚者の群れです。そう言って悪ければ、「正解」を求めて苦しみ、悩み、さまよっている、迷子の羊です。

 羊の言葉に耳を貸さないでください。羊を愛でるのは結構ですが、自分も羊になりたいなどと考えるのはよしてください。

 獅子の、気高き王者の言葉をこそ胸に刻みつけてください。

 歴史上にはたくさんの獅子がいました。そのひとりは、ソクラテス

・依存するものは少ないほうがよろしいのです。

 高貴な人間とはどういう人間ですか? 依存するものが少なくて済んでいる人間のことです。つまり、独力(スタンドアロン)でなりたっている人間です。神々に近い人間のことです。

 しかし、世間はよく「依存せよ」とわれわれに助言してきます。たとえば、電車に乗れば否応なしにこんな広告の文句が飛び込んできます。「健康のために青汁を飲みましょう(青汁がなければ人生を謳歌できないような者は、脆弱です)」「休日は長野へ旅に行きましょう(長野に行かなければ楽しみを見いだせないような者は、盲目です)」「この本を買って賢くなりましょう(青年になっても親しく付き合うべき古典を知らないような者は、無教養です)」。

 広告は依存のススメです。依存というのは、なにも麻薬や恋人関係に限ったことではないのです。われわれは商品を買うよう誘導され、やがて、視覚の刺激、味覚の刺激、触覚の刺激、聴覚の刺激、嗅覚の刺激、言葉(ロゴス)の刺激に依存します。神々に近しい生物であるわれわれは、たちまち獣の境遇へと蹴落とされてしまいます。

 できるだけ、なにも持たないほうがいいのです。恋人などは、ないほうがいいのです。ハマっているゲームなどは、捨てるのがいいのです。

 先哲、獅子、王者たちの金言を胸に抱いて、しっかり二本足で立つのです。

・孤独こそが聖なる生き方です。

 世間は「孤独は暗いもの。群れは明るいもの、望ましいもの」と言います。これは嘘です。群れは望ましい、好ましいものではありません。人間が社会的動物(ゾーン・ポリティコン)であるから、仕方なく形成するものです。本当は、そんなものないほうがいいのです。できる限りの力をつくして、孤独を求めるようにするべきなのです。徐々に、段階的に、世間との関わりを断つのです。(それでも、最小限の関わりは捨て去りきれません。それは人間の根幹をなすシステムなので、あきらめます)。

 孤独は最高の境遇です。力の充実を身に実感しながら生きる。これは、まさしく英雄に比すべき態度と言えます。

 飲み会はすべて断りましょう。出席してもいいが、飲んで、乱れるのはやめましょう。あなたは真理の道を歩んでいる。つり帯には長い剣がぶら下がっている。酔って、その剣を台無しにしないように。せっかくフランソワ一世からいただいたものだから。

 以上、自戒。

 だれに向けて語ったわけでもないのです。わたしのみが実践すればいいのです。黙して、ただ歩め。獅子が無理なら、せめてサイのごとく、独り、歩め。