ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

【第一話】黒い砲身 01

 アナハイム・グループの傘下に置かれているオールド・ハバナシティ社の逸品、最高級紙巻タバコ「ドニゼッティ」をくゆらせながら、タレゾ大尉は退屈している警備兵を相手取り雑談に打ち興じていた。タレゾ大尉はすでに老年に差し掛かっていると言っても過言ではない齢にあったが、全身にみなぎる生気と、持って生まれた社交的資質によって、まだまだ新任の兵たちに後れを取らぬ若々しさを保っている。しかしそれはまったく表面上の観察によって見出される特徴に過ぎないことは、彼と付き合った全ての者の確信するところである。彼がいくつもの死線を乗り越え、冥府の恐ろしい霊魂たちとその運命の境界を接するたびに、己の身のはかなさと、人間の世のむなしさへ思いを募らせ、決して人前に明かすことのない、精神の内の深淵といったようなものを抱えていることは、言葉の端からも、身振りからも察されるのであった。そしてその心的な深みが、彼の表面上の若さに反して、その人柄、内面に、老兵特有の静かな威圧感を与えていた。

 「タレゾです。今日はドニゼッティを食べますぅ。オールド・ハバナシティ製。『紳士の楽しみ、仙境の味わい、カリブの郷愁、大人のひと時をあなたに。』アナハイムグループ。連邦政府認可。ハバナ産タバコ100%。タール35ミリ。ニコチン30ミリ。メンストール配合……」

 「大尉! 困りますな! こっちの新入りは、まだこの牧歌的な我々のフカヤ基地に来て数分と立たないのです。その大尉一流のジョークも通じませんからな。本当にタバコを食べるんじゃないかとヒヤヒヤして、ほれ、まるで氷柱のように硬直しております。あまりおからかいなさるな」

 「それでは、食べますぅ」

 「大尉! 大尉!」

 ゲート付近でわいわいとなされるこうしたやり取りを聞きつけて、耳の早い軽薄な連中はすぐに集ってくる。気の向くままにフカヤ市街に乗り出して、年ごろの女も年端のゆかぬ女も、みんな一緒くたに攫って食う、一週間に三人は食う、鬼みたいな剛毅な男たちの集まりではあるが、タレゾ大尉への敬愛の念だけは確かなものである。タレゾを前にしてすっかり当惑している新入りの兵は、畏怖と好奇心のこもった眼差しでこの老大尉の額に刻まれた戦の傷を見つめていた。

 「新入り、大尉の傷が気になるか」

 「はい。あれはいつ頃負われたものなのでしょうか」

 「話せば長くなるがな。まあ聞け。時間は無限にあるんだからな。戦場は宇宙だ。こんな辺鄙な田舎の基地には関係ない。時間だけは無限にあり余ってやがる。まあ聞けよ」

 コチョコチョ、コチョコチョ、と、自分の直属の部下たちを笑いながらくすぐり始めた大尉を尻目に、古参兵はタレゾの武勇譚を語り始める。実際これは新入りが配属されるたびに見ることのできる、フカヤ基地の日常的な風景である。基地に愛着を持つ戦士たちは、同じ釜の飯を食う仲間の英雄の武功を、あたかも自分の手柄のように誇りに思っているのだ。

 「一年戦争も末期、主戦場は宇宙に転じ、いよいよ連邦の命運が言わずと知れたあの宙域戦で決せられんとしている、そんな時勢だった。人を見る目のない、腐った官僚どもの画策によって机仕事の艱難を舐めさせられていた大尉は、広報部門、動画作成班において驚くべき戦果をあげられたのだ。そしてまさにその戦果こそが、大尉が英雄として地球の歴史に名を残す、かのジオン残党掃討作戦での電撃的勝利、半神的活躍を予言する、勇壮な狼煙ともなった……」

 フカヤ基地の午前はのんびりと過ぎる。空にはアウドムラの姿一つとてなく、遠くネギ畑に牛の穏やかなあくびが響き、平和の使者たる鳩がジムIIの肩で昼寝をする。地元のジャンク屋の親父が、軽トラで基地の周りをウロチョロしていたかと思えば、資材係の罵声に追い立てられながら、MSのパーツを見事な手際でいくつか盗んで去っていく。世が世なら是が非でもとっ捕まえ、銃殺にでも火刑にでも処すのであろうが、この宇宙から忘れ去られたような田舎とあっては、兵士たちも武器の不足を気にかけない。彼らの生活に必要なのは銃やMSや戦艦ではない。陽気な女と旨い飯、そして過去の武勲話なのだ。

 「――フカヤも堕落したものだな。宇宙(そら)から帰ってきてみれば、数年でこの有様。極度の忍耐を要する膨大な下準備、計画の綿密な調整も、まるで徒労だったらしい。赤子の手でもひねるように、事は簡単に運ぶだろう」

 そうした牧歌的な兵士たち、まるで神話時代の英雄のような彼らは気づいていなかったし、気づくはずもないのであった。

 望遠レンズを通して、不敵な視線が基地の上に注がれていることを。

 しかもそれは、宇宙世紀以前にトウキョーで建設され、後になってからここフカヤに移設されたという、「フカヤネギタワー」、旧名「東京スカイツリー」の展望室にたたずむ一つの黒い影によって注がれているものなのである。およそ地の利を理解し、あらゆる敵の可能性を考慮しなくてはならない警備兵ならば、まず第一に警戒するのがこの「フカヤネギタワー」であろう。基地全体を見渡すことの出来る高さを誇っているのは、フカヤ中この建物をおいて他にない。影は呆れたように肩をすくめると、颯爽とエレベーターに乗り込み地上へと急いだ。

 その影は――影といっても、彼はまさしく一人の人間に他ならないのだが――フカヤの上空に堂々君臨している、あの偉大なる太陽の光に照らされたことで、身に着けているものの異様さを明らかにされることとなった。薄暗いタワー内では漆黒に見えたそのジャケットには、短くも恐ろしいいくつかの句が血のような赤色で記されている。

 「   貴様らは逃れられない

     貴様らは赦されない

     貴様らは至らない

     貴様らこそ大罪だ    」