ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

小学生女児に恋する者は、地上の生を祝福する敬虔な種族である。

小学生同士の恋というものは、人間に許されたもっとも美しく純粋な快楽であると断言してさしつかえないことと思う。諸君のような脂ののった青年が、歳の離れた少女に愛を歌うのはもちろん結構なのであるが、どうしても自身小学生であって、かつ相手も小学生である場合の恋がもたらす究極の喜びは、他に替えが効かないのである。

地上に存在するあらゆる幸福を享受することを許されたわれわれは、そのような種類の恋を経験しないではいられない。当の私も、まだ黒々とした泥沼の性愛を知らない肉体の清らかな時期に、同年代の小学生相手に大いに恋のlessonをやったものだった。

あれは小学生5年生の頃だったろうか。

クラス一の美少女ーー仮にすみれちゃんとでもしておこうかーーであるすみれちゃんが、どうやらこの私に気があるらしいという噂がまことしやかにささやき交わされていた。そしてそれは事実であるらしかった。すみれちゃんはほとんど芸術品とも言うべきさらさらの長い黒髪に利発そうな顔つき、そして優れた教養と物腰の柔らかさが特徴の、育ちの良い子女であった。実際すみれちゃんは高貴な血筋をひいており、彼女の両親そのまた両親も非常に立派で名誉ある職業に就いていたのだ。無論こんな時代に家柄もへったくれもないのだけれども、気品の保たれている家庭に生まれた女児というのは、文字通り国家の誇るべき宝玉である。そんな彼女が私に恋をしたというのだから驚く他ない。私はと言えば、確かに生まれは高貴かもしれないが、それは天上で言うところの高貴さ、すなわち天性の勇気と頭脳によって獲得した高貴さであり、地上で言うところの高貴さである家柄だとか財産だとか、そういうものには無縁だったのである。すみれ嬢の先祖が十字軍時代に剣と武勇によって貴族に叙されたのだとすると、私の方のは革命時代、大砲と無謀によって獲得した勲章であり名誉だったのだ。もっとはっきりわかり易く述べるとするなら、すみれ嬢は時代によって権威づけられた貴族であり、私は溢れる才智と優れた腕前によって成り上がった貴族なのである。何を言いたかったのかというと、つまり、すみれちゃんは労働者階級の粗野な子供、子供というより餓鬼と呼んだほうがより正確であるようなタイプの児童ではなく、格差社会の勝者であり、知と財と美という、支配階級に必須の三要素を備えたカリスマ的少女だったということだ。そんなすみれちゃんは言うまでもなく学校じゃ人気者、クラスの中心人物であり、文句無しの優等生、先生方のお気に入りというわけだった。その上すみれちゃんの母君はPTA活動に積極的な貢献をしており、教師という教師に顔のきくいわゆる地域の有力者といったような女性である。娘のほうに対しても母ほうに対しても、周囲の女児、保護者はみな彼女たちの味方だった。だからこそ周囲の者たちはすみれちゃんの恋を全面的に応援しはじめたのであった。

すみれちゃんに近しいクラスメイトたちは、突如、私を囲むようになった。真の目的は隠したまま、やたらに私を遊びに誘い、休み時間はつきまとい、登下校も一緒にてくてくわいわいやる。生来孤独を好む私としてはやりづらいことこの上なかったが、次第に彼ら彼女らの真意がはっきりしてくるにつれ、嫌な気分はしなくなった。そんなすみれちゃん応援団の微笑ましい戦術というのは、次のようなものだった。

当時、超竜バジュラで敵のマナを破壊し尽くすことに全精力を傾けていた私を、まず先遣隊の男子が巧みに誘い込む。

「おう、今日もデュエルすることにしようや。今日は浜川の家で大いにやりあおうぜ」

一も二もなく、私はそれを承諾する。

「いいとも。ぼくのバジュラはお前たちのマナを舐め尽くし、13000のパワーでクリーチャーを叩き伏せ、しまいにゃ豪快なT・ブレイクで一気に決着をつけちまうからそのつもりでな」と。

放課後、自宅に飛んで帰り、コロコロコミックの付録だったクリアブルーのデッキケースをポケットに突っ込んで、私は浜川くんの家に突進したものだった。浜川くんの母上はにっこりと笑って私を迎え入れ、意味ありげな微笑を継続したまま私を部屋へそっと押しやる。案内されたその部屋のなかでは、どういうわけか、数人の女子とすみれちゃんが私を待ち受けていたのであり、私を決闘に誘ったはずの男どもは、隅っこで聖拳編第1弾のパックを剥いて一喜一憂してるのだった。

「おい、ぼくのバジュラがマナを喰いたい喰いたい、飢え死にしそうだと喚いてるんだが。まずもってぼくのバジュラの餌になりたい奴は誰だ?」

「今日はお前のバジュラに出番などない。女のいる前で神聖なデュエルができると思うのか?」

「なんだと? しかし、ぼくはデュエルしに来たんだが。なんだって女を呼びやがったんだ?」

「呼んじまったものは仕方なかろう」

デッキケースを撫でながら、悲痛な表情を浮かべていたであろう私を見て、すみれちゃんは恐々と顔を上げた。

「わたしは構わないよ。東野くんがデュエルするの、見てたい」

サファイア色のスリーブに護られた、自慢のバジュラランデスデッキを勇んで取り出したところで、すみれちゃん以外の女児からブーイングが上がった。

「すみれちゃん優しすぎ!」

「そこは男の子が空気読むべき場面だよ!」

「わたしいい事考えた! みんなで『呪怨』観よう!」

映画『呪怨』を観る、というのは、彼女たちが考え出した画期的で恐ろしい遊びなのだ。なんのことはない浜川家自慢の大型テレビで、陰気なホラーを眺めるというだけなのだが、これがなかなかどうして恋の戦場としてはこれ以上ない激戦区を生み出すのである。 まずその準備段階として、あえて雨戸を閉め、部屋を暗くする。それから各国の王の前を歩く大使とでもいうように、浜川くんがその両手に仰々しくDVDを持って部屋を一周したのち、デッキにセットする。この時、暗闇のなかで女児たちによって重大な仕事が取り仕切られる。すなわち席決めである。今回浜川家に集った有志たちにとっての最大の目的は、私とすみれちゃんを隣同士にすることである。それはすぐに実現した。部屋の中央、テレビの真ん前に、私が左、すみれちゃんが右と並んで配置させられた。どこからともなく毛布が持ち運ばれる。私とすみれちゃんは同じ毛布のなかに足をうずめ、体温を共有することとなった。数人の女児は私とすみれちゃんが隣り合ったのを確認して、嬉しそうにうなずいている。

映画が始まる。サッカーボールが青白い男児に化けたりなどして、小学生の無垢な瞳にとってはとんでもない恐怖の映像が流れる。女児たちは、華の5年生の少女たちは、心底楽しそうにきゃあきゃあ悲鳴をあげる。隣にいる男児に抱きつく。無垢な少年は顔を赤くしてうつむいてしまう。すみれちゃんは普段であったらそんなはしたないことはしないはずなのだが、こうした特殊な空間の空気にあてられてしまったのだろう、絹のようにすべすべの脚を、私の古傷と絆創膏だらけの脚にからませた。そして私の腕に強くしがみつき、宝石のような髪を肩に擦り付けてくる。天界の芳香。そのとき私の生命は恋の喜びを知り、これまでの人生、またこれから人生における、すべての瞬間が祝福された。永遠に色褪せることのない甘美な記憶は、いつも私に命知らずの勇気を吹き込み、四肢に無敵の膂力を与えてくれるのである。

すみれちゃんとのエピソードはもちろんこれで終わりではない。この日の映画鑑賞会には続きがあるし、そのほかにも修学旅行や運動会、あるいはなんでもない学校での日常生活において、私たちは多くの時間を共有した。しかし、いい加減この辺にしておこう。

小学生同士の恋はあまりに心地よく、われわれに無条件な人生の肯定を促す。その事実を賢明にして勇敢なる読者諸君にはよく理解していただきたい。そしてどうか、小学生女児に恋することを恐れないでほしい。たとえあなたがすでに降り積もる歳を重ね、精神も身体も老いの魔の手に掴まれていたとしても、どうか地上最高の喜びであるところの女児への愛だけは、抱き続けていただきたい。老いに気力を吸い取られ、気になる小学生女児に愛を告白できずにいるあなた、どうか明日、己の武勇に誇りをもって、はかない想いをお伝えなさい。

少なくとも地上に一人、この私だけは、小学生女児に恋するあなたの友軍であり、必要とあらば、無敵の武勇をひっさげて援護に駆けつける覚悟を抱いているということをお忘れなきよう。