ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

Syamu_gameは半神の英雄である

イエス・キリスト以来の歴史的復活により、今や大物Webスターとして日輪のごとくその名を輝き轟かせる男、あのSyamu_game氏について語ろうと思えば、私は1日と言わず、1週間は口を休ませることなしにいられる自信がある。いや、それは多少大袈裟かもしれないが、少なくとも私は彼について一言二言述べたいこと、是非述べなくてはならないことを腹のなかに隠し持っている。幸いにも神々が私の味方をしてくださり、このような素晴らしい機会を与えてくださったので、私はこれを好機とばかりに奮い立ち、勇んで彼の魅力を吟じようと思う。誰にそれを止めることができようか。

私がSyamu_game氏と出会ったのは昨年、とある城町の大衆飲食店においてであった。ドリンクバーにて寿命を縮める色付き砂糖水を注ぎつぎ、私は友人とともに、彼の食品レビュー動画を鑑賞したのだった。最初に見たのは塩味のポテトチップスを2種類組み合わせて口に放り込み、人に天界の官能を与える対馬(たいま)のテイストを愉しみながら、「警告:0点…」の金言をひねり出したあの回である。私はゼウスの雷撃を身に受けたがような衝撃を覚えた。この男、なんと驚嘆すべき詩才の持ち主であることか。声麗しく言葉は気高く、まるで詩神(ムーサ)たちが自らの眼を喜ばせるため、手ずから生み出したとでもいったような人物だ。

私はその瞬間から彼の虜となった。彼に言わせるのなら「純粋なファン」である。やがて私は彼の紡ぎだすたおやかな詩のみならず、彼という人間そのものを愛するようになった。私は彼を他の現代人よりも高く買っている。もし100人の大衆と、Syamu_game氏1人の命を天秤にかけて計り、無慈悲な死の裁きを下す職権が私にあると仮定するなら、私はSyamu_game氏へは優しく微笑みかけ、その繊細な心に安らぎを吹きこむだろう。しかし、大衆のほうへは峻厳な顔つきと態度で相対し、連中を地獄の苦痛と尽きぬ後悔の泥土に放り込むはずである。

なぜ私が彼の人間性をも高く評価するのか。その理由はおそらく、俗世のおぞましい「偽道徳」と「偽信仰」に染まってしまった連中には、とても理解できまいと思われるものである。ただ、毎度ありがたいことにここへ足を運んでこられる敬虔な諸君は、今から私の述べることに十分な共感を示してくれることだろう。つまり、私はSyamu_game氏こそ人生を真に生き、喜ぶべき喜びを真に喜ぶ類まれなる英雄であると主張したいのだ。彼は現代に復活した半神の英雄である。だからこそ私は彼を崇敬してやまないのだ。

Syamu_game氏は英雄である、と言われても、なんのことやらさっぱり分からないという方が少なからずおられると思う。それならSyamu_game氏は貴族である、と言い換えてもいい。あるいは超人、とでも言ってみようか。彼は衝動のままに、興味の向くままに、自由と誇りを保ちながら、ひたすらに邁進することを自分に許している。そしてクセルクセスの軍勢に直面したギリシア人のごとく、それがどんな強者であれ、他者というものに隷従することを死ぬ程に嫌っている。

彼は決して働こうとしない。なぜなら現代において「労働」なるものの大半は、単なる労働力と賃銭の交換契約ではなく、労働者側に奴隷的服従を求め、貴族的勇敢さ、自由を保つのに必要な武装、超自然的信仰の放棄を強制する性質を有している、ということを直感的に把握しているからだ。「労働」をするくらいであれば、彼は気の向くままに歌をうたい、ご馳走を喰らい、詩をつくり音楽をつくり、楽しい物語を書き散らし、姿見の前で踊るほうを選択する。はたして現代人どもに、そんな選択をする勇気と度量があるだろうか? 奴隷同士で顔色を伺いあい、侮辱しあい、まさに汚泥のうちに暮らしている模範的小市民の連中は、人生そのものを「工場の歯車」に加工してしまい、富と知と快を独占するにこやかな支配者たちへ、喜んで一生を捧げてしまうのである。

地球的英雄にして史上最高の侵略者、アレクサンドロスは若くして冥府へと赴いた。おそらく、われらがSyamu_game氏も、長生きしてはくれないだろう。英雄というのはみなそういうものだ。だが、模範的小市民どもよ、私は貴様らを告発する。そうした英雄の種族に生まれついた天性の詩人に対して、老後のことを考えろだの、奴隷の身分に身を落としてでも賃銭を得ろだなどと怒鳴り立て、踏ん反り返っていいことをしたような気分になっているお前たちは、所詮誰かのために己の生命を生贄に供する奴隷、いや、奴隷以下の畜生かもしれぬのだぞ。恥を知るがいい。英雄は奴隷の言葉に耳を傾けず、ピシャリと、鞭でもって黙らせる。あるいは剣で首をはねもするだろう。戦で死ぬ覚悟のある英雄たち、そしてわれわれ真理の民は、健康寿命だの、老後の計画だの、少子高齢社会だの、年金だの、キャリアアップだの、年収だの、労働時間だの休暇だのやりがいだの、そんなものを一切無視し、犬のようにうるさい輩を武力によって沈黙させる。これほど神々の眼を喜ばせる生命の用い方が、他にあるだろうか?

豚のように従順で、政治的にも無害で、自分をいつもくだらないもののように思い、賃銭を受け取るのにいつも顔を赤らめ、「ああ一層努力して会社に貢献しなきゃなあ」なんて考えるような大衆であるよりも、私は歌い、踊り、喰らい、書く、悦楽の達人、貝塚の隠者であることを選びたい。