ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

上坂すみれ・高貴さ・美しさについて(再掲)

 上坂すみれさんの魅力を語らなければならない。私は上坂すみれさんの魅力を語らなければならない。私は上坂すみれさんの魅力を真に理解する者だから、上坂すみれさんの魅力を語らないわけにはいかない。上坂すみれさんの魅力を私が語ることによって、女性美というものが歪められてしまったこの時代に一石を、否、山をも穿つ巨岩を投じることになると確信する。だから私はこれからも継続的に上坂すみれさんの魅力を語り続けなければならない。上坂すみれさんの魅力は次の一言に集約される。

 「高貴」


★高貴とは

 私は常々女性の魅力には二つの種類があると考えている。一つはプリミティブな肉の魅力。あどけない顔した女の子が、まだ発達途上のもっちりした肌、健康的な肉体をすり寄らせ、原始的な快感に笑顔を浮かべる瞬間。つまりは少女美の魅力。女性の肉体の最も美しい時期であるところの、小学生の頃に発揮される、性的要素を多分に含んだ魅力。この魅力にとって女性の人格や内面などといったものはほとんど無視される。極論を言えばほとんど会話のなりたたないような、知性の無い脳の持ち主であってもかまわない。この魅力を抽出して結晶化したものが、いわゆる二次元のキャラクターたちである。彼女らのほとんどは人格破綻者で、現実の社会ではとても生きていけないような種族だけれども、肉体の方は非常に魅力的、ほくろ一つ見いだされないつるつるまっ白な肌、汚らしい毛の無い幼いかくしどころ、そしてあまりに原始的な性的欲求。この類型の魅力を持つ女性というのは小学生に多い。真に自然的で心を楽しく揺さぶる、究極の快楽をもたらす恋愛というものがこの地上で実現することが出来るのだとするのならば、小学生との恋愛のみがそれを可能にする。それではもう一つの女性の魅力はと言うと、標題の「高貴」ということに他なら無い。古来最も美しい女性たちは必ず高貴さをその身にまとっていた。人類の普遍的な関心を問題にした哲学者たちでさえも、女性美の必要条件として高貴さを挙げている。女性を美しくするためには、少なからぬ金と宝石が必要なのだ。またなにより大切なのは、外面のみならず内面に身につける宝石、つまりは深い学識と教養である。教養は女性の人格を磨き上げ、愛と美について正しい観念をもたらし、自らの性の役割を理解させるために不可欠なもの。教養を身につけるには、幼い頃からの継続的な訓練と教育が不可欠であるが、そうした訓練に与ることの出来るのは富裕な身分の者だけである。生存のために日銭を稼ぐ労働に身をやつす者らは、そもそもそうした訓練を受ける時間を持たないし、そうした訓練から得られる恩恵の価値を理解することも出来ない。これは何も貴族社会の存在した時代の話をしているのではない。昔も今も、そして未来においても変わらぬ普遍的な事柄を取り上げているのだ。賢明なる読者諸君は容易に観察することが出来るだろう、卑賤な階級の子弟は不幸なことに、教育の価値を理解しないため自らの属する階級を脱出し得ないことを。また受けた教育を血肉とする才能に恵まれていたとしても、現代の公教育は貴人(支配者)を作るのではなく効率良く作業する者(労働者)を作ることを目的としているために、やはり属する階級から脱出することは難しい。対する高貴な生まれの者は(あるいは富裕な生まれかつ教育の価値を理解することの出来た者は)、質の良い(=支配者向けの)教育からその十分な恩恵を受ける(私は労働者と資本家の対立を言っているのではない。貴族と資本家はまったく別物である。財産の多寡は高貴さの十分条件ではない。資本家の子弟はたいてい、卑しい商人の教育を受け、商人階級を再生産する)。高貴さはそれを身につける者に次のようなことを可能にする――大らかさ、陽気さ、度量の広さ、寛大、巧みな会話術、優れた技芸、美しいものとそうでないものの判断、芸術を楽しむこと、頭の中の知識や発想で自分を慰めること、良い仲間を引きつけること、人生を楽しむこと、死に対して勇気を持つこと、美しく身を飾ること。

上坂すみれさんと高貴さ

 上坂すみれさんは今世紀中最も高貴な女性の一人である。つまりは女性を美しく飾る重要な要素を最も多く有するお方ということ、成年女性にとっての太陽であるということ。先に挙げた女性第一の美の類型が、もはや小学校を卒業してしまった女性には到底獲得出来ないものであるならば、当然第二の美の類型こそが女性のすべからく求めるところとなる。そういう意味で上坂すみれさんは今までも、これからも、女性の規範であり続ける。上坂すみれさんの高貴さは、彼女の声優としての活動のあらゆる場面で発揮されている。たとえばパパ聞きラジオでの発言。

 「私の生涯の目標は博覧強記です」

 「(もし子育てするなら)子供には自分の読んで来た本すべてを読ませてあげたい(これは彼女の高貴さを証拠づけるかなり決定的な発言! 貴族教育の特徴は「古典的書物の伝承」というところにある。中国の貴族階級は四書五経の知識を身につけた。ギリシアの貴族階級はホメロスの詩を暗記した)」

 またラジオでザック某をゲストに迎えた時も、ロシアのクラシック作曲家の名前をポンと挙げたりなどして、優れた文化への造詣の深さを証明した(彼女のことをサブカル女などと揶揄する輩には是非このことを知ってほしい。つまり彼女は古典的な音楽、書物、絵画などといった芸術、すなわちメインカルチャーの楽しみを十分に知っている。その上でサブカルチャーにも関心を抱いているのだ。)。さらに、彼女の崇拝者である我々にとってはあまりに当然のことであるため書き逃すところだったが、上坂すみれさんは外国語にも堪能である。ロシアの貴族が必須の教養としてフランス語を身につけていた例を挙げるまでもなく、あらゆる国の貴族階級は母国語のみでものを考え、視野の狭まることの危険性を十分知っていたために、他の文化圏の言語の修得を必須の教養と考える。上坂すみれさんもまたその慣習に漏れることなく、ロシア語を巧みに使いこなされるわけだ。また彼女にとってのトレードマーク、彼女の趣味を特徴づけるロリータファッション、これも実に貴族的じゃないだろうか。どこが貴族的なのかと問われたら、貴婦人の服装文化に疎いこの私は返答に困ってしまう。けれども一つ言えることは、毎週のラジオ収録の度に新しいブランドのロリータ服を身につけ、それを視聴者に紹介する習慣は、間違いなく彼女の貴族的な財の使い方(高貴な美しさに妥協しない)を意味している。きらびやかなそのファッションは、パリの社交界においても十二分に通用する、実に高貴な女性的装飾だと思う。実際私は駅などでロリータファッションを目にすると、なんだか恋への意欲を掻き立てられる。この見目麗しき女性へ、私の肉体の全てを捧げて奉公したいという気にさせられる。ロリータファッションというのは貴婦人の服装である。それは華美と豪奢と躊躇、慎みを共存させる、真に貴族的な衣装に違いない。私は女性の衣装に詳しくないけども、とにかくこの直感はそう述べる。美しいことだけは間違いない。ああ、また一つ思い出したが、彼女は母校である上智大学で学業優秀賞を受賞している。声優業と学業を完全に両立させ、しかもその双方で優秀な結果を残しているのだ。文系学部の授業で良い成績を取るために必要な要素の一つとして、ジャンルにとらわれない幅広い教養が挙げられる。文学の授業では世界の歴史を知っていると知らないとでは理解度にまったく差が出る。言語学の授業では母語の他に何か他の言語の教養があった方が有利に違いない。哲学の授業では現代にのみ通用する特殊な価値観にとらわれていてはいけない、古典的著作を読んで普遍的な問題に関心を持つようでなくてはならない。貴族的教育を受けた上坂すみれさんはそうした教養をまずもって有していたということを、学業優秀賞受賞のエピソードは示している。

上坂すみれさんと同時代のアイドルの比較

 上坂すみれさんはアイドル声優としてその高貴の美を同時代の青年たちに誇示し、やがては彼らを今や失われた貴族的徳の信奉者に仕立て上げようという意図を持った女性である。彼女の活動は全てそうした教育的意図に裏付けられている。彼女が同時代の人間中如何に卓越して高貴さの美を実現させているか、他のアイドルとの比較において考えたい。まず私が憤怒を胸に押し殺して挙げたいのが、AKB48というアイドル組織に属するとある一名。名前は忘れてしまったけれども、その女性はなんだか不祥事を起こして、その責任を取るという名目で自らの髪を丸刈り、まるで囚人のようになってしまったというエピソードの持ち主。この女性について賢明なる読者諸君はどのような感想をお持ちなのかは分からないけれども、この私は少なくとも大きな怒りと嘆きのために、目眩を起こすくらいだ。あるいは無関心であればいいのかもしれないが、私と同じ時代を生きる賢明な男性の、少なからぬ部分がAKB48というのにただならぬ情熱を示しているらしいから悔しくてたまらない。なぜあなたたちはそうした美のまがい物で満足するのか、見よ、その視線を転じて、燦然と輝く高貴さの権化、女性美の堂々たる規範、上坂すみれさんの白い四肢、可憐な身なり、驚くべき教養。対してそのAKB48の囚人さん、何とも哀れな発想じゃないか、責任を取って丸刈りだなんて。その発想の源を私は知っているぞ、それは卑しい民衆のもの、公教育機関で培われている下層の文化。まるで高貴さとはかけ離れたところに存する態度、旧陸軍か、あるいはヤンキーブームか、体罰部活制度か、そうした環境を経験していないと出てこない発想だ。ほらすぐに分かってしまう、囚人さんが卑しい出身の者だと。外と内の両側を宝石で飾らなければ女性は真の輝きを発揮しないということを、まったく理解しない種族であると。また参考として、上坂すみれさんと囚人さんたちの種族の今後のキャリアプランの比較をもしてみたい。それは上坂すみれさんが真に貴族に属することを明確に示すのだから。上坂すみれさんが仮にアイドル声優を辞めた場合、彼女が職に困ることはありえない。なぜなら彼女には外交官、ゆくゆくは大使、あるいは通訳や翻訳家の道が開かれている。またそうでなくても一般企業の総合職で活躍する能力は充分持ち合わせているし、働かず遊民として暮すのもまた優雅、はたまた青年貴族と結婚して幸福な家庭を持つもよし。貴族にはキャリアの選択肢が無限に広がっている。他方囚人さんなどはどうだ、あの仕事をやめたらせいぜい老けてシワの醜い裸体を晒したり、賭博店で下卑た笑顔を振りまいたり、身体を売ったり、工場で機械の一部となったりと、そうした卑しい庶民の暮しに帰らざるを得ない。日銭を稼ぐ必要のために。

上坂すみれさんと愚かな対抗勢力

 そうした囚人さんのような女性は到底、女性第二の魅力を目指すことを知らないし、それに気づくことも出来ない。だから女性第一の魅力を目指すか、まったく自然に反する第三の魅力を「創り出す」。創造は、唯一神がやったにしろそうでないにしろ、とにかく人間のなせる業ではないというのに。まったく邪悪で人為的な魅力の一つの例に、例えば「華の二十九歳」という言葉が存在するのを諸君知ってるか。大笑いだけれども、どうやら女性は二十九歳になると最も魅力的になるとか。まったく大笑いじゃないか。白磁のように麗しい肌はもはや失い、かといって高貴さを身につけられるはずもなく、しかし魅力的な女性でありたいという大欲のみは立派に育った結果、そのようないびつで不自然な概念を生み出してしまうのだ。愚かしい、ただ食事して呼吸してとにかく生存して、それで二十九になったら魅力が開花するなどという発想は。女性美は生まれてまもなく開花する、女性第一の魅力は。そして第二の魅力は、高貴さを身につけることによって自ずと備わるもの。それ以外に魅力を手にする機会は存在しない。第一の魅力期を逃した高貴の生まれでない女性はただただ老いるのみ、美は去った、次の世紀のため子を残せば宜しい、恋だの愛だのといった麗しい徳は、小学生と貴婦人の領分だ、あなたたちは母となり、たくましく人間を再生産せよ。恋愛結婚は貴族のものなのだから。ところで囚人さんのような女性は、第三の魅力を捏造する場合もあるけれども、第一の魅力を追い求めることもある。そしてそれ(第一の魅力を「再度」身につけること)が部分的に成功する場合もあることを述べておこう、女性美の前で嘘や隠し事は出来ないから。

★美を諦めきれぬ女性たちへ

 美を諦めきれない対抗勢力の女性、もはや十八も過ぎ、見事に老いてしまったあなたたちに恋や愛はない。もし今、恋らしいもの、愛らしいもの、あなたたちが恋や愛と信じるものが手近に存在するのだとしても、それらは全て偽りに過ぎない。小学生の本当の恋ほど魂に快楽の揺さぶりをもたらすことはないし、貴婦人との恋ほどに魂の洗練と生の歓喜をかきたてるものでもないのだから。それではどうしたらいいのか? あ、どうしても恋や愛を諦め切れない、魅力、美を備えて、女性としての喜びを達成したい。――よろしい。あなたに唯一出来ることをお教えしよう。それは母になることだ。同じ階級の、下卑た労働男などを捕まえて、老いた身体に精を受け取り、子供を持つのだ。そしてあなたの分身であるその子に、質の高い教育を与えることだ。質の高い教育とは、前に述べたように、子供たちが権利として受ける公教育のことではないし、流行のビジネスマン養成教育でもない。特に後者の教育について勘違いしている女性が多いが、自分の子を優秀なビジネスマンなどに育ててはいけない。彼女は金と交わり金と結婚する。金を食って金を慰みにする。しかし死ぬ時になると気がつく、ああ、死に際して金は無意味だ、これは私の死における伴侶たり得ない、むなしい相方だ、死の恐怖を慰めてはくれないのだ。それよりも、貴族教育をするのだ。ビジネスに役立つ英語なんて教えてはいけない、ロシア語などオススメだ。本を読ませよ、ただし強制してはいけない、玩具の代わりに良書を与え遊ばせるのがいい、自然と子供は読み始める。良書とは昔から貴族が読み継いできた書物のことだ。そして正しい美感覚を養わせよ、そのための補助として気品溢れる社交界に参加させるのがいい。そのようにして完成された子供は、今や母の悲願であるところの、真の魅力を備えた立派な貴婦人になっていることだろう。晩年母は、子の恋愛や結婚の世話をしてやり、その優しく楽しい雅な人生を追体験する。そして満足して地上を去る。