ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

すべての苦しむ人々へ

 苦しみはもう、どうしようもない。先哲が発見した事実はこれだ。「生きることのいっさいは苦しみである」。あなたはいまなにを望んでいる? その望みがかなったらどうなる? いっさいの苦しみは終わる? そんなはずはない。おれはちゃんと実験したからそれを知っている。

 おれはある日チキンカツ定食が食べたくなった。そんだからなけなしの金子をなげうってチキンカツの定食を注文した。そのときのおれのチキンカツに対する欲望といったらとんでもなくて、カツのひときれ口にほうりこめば、この世の快楽のすべてが一気にこの身にふりかかることだろうと本気で信じこんでいた。なんてったってあのパン粉のさくさくなのと、ソースのしょっぱいのと、からしの辛いのと、肉のあぶらの甘いのとが合体して舌を刺激するよ、そんでもって、鼻をぬけていくのはツンとしたチキン臭さ。ああたまらねえなあ。間髪入れずに、いいかい、あつあつの白米を口にぶちこめよ。おれ、忘れるな、日本人ならしょっぱいものと同時にコメをくうんだからな。チキンカツと米飯を同時に喰えばおれはそれでもう人生は終わっていい、満足だ、ゴールだ、最終目的だ、と、こう、妄想していた。そのくらい食欲ってのは激しい。

 注文したチキンカツが届いておれは割りばしをわってそんで、カツをつかんで口に運んで、そんで、じゅわっと脂が広がってそっからおれの記憶はない。もう豚のように食ったからな。食い物を目のまえにした豚に、短期記憶などない。おれはもうそれはもうもう豚だ。あるいは牛だ。なんにせよ家畜だ。馬かもしれんが、いずれにせよよく食う畜生だ。おれは畜生になった。畜生が鼻息も荒く、味覚をじゃんじゃん刺激して、快楽にまみれて転げもだえているんだから、気味が悪い。チキンカツを食う奴は家畜で実際に気味が悪い。本当に、チキンカツを食う奴らは品がないからな。

 事件はチキンカツ5切れ目のときに起こった。

 それはもう、さんざんチキンと衣とメシとを堪能して、宴もたけなわといったタイミングでの、チキンカツ5切れ目だったんだな。おれはまず、舌にチキンカツが衝突した瞬間、こう思った。思ってしまった。

 

「要らねえな、もう。お腹いっぱいなんですからね」

 

 そして、

 

「――いま、おれはなにを考えた?」

 

 あれほどチキンカツを望んでいたおれが、チキンカツを手に入れたあげく、「もうチキンカツいらない。これ以上食べたらお腹が『苦しい』」などとのたまっているんだからね。もうこの世界を貫徹する残酷なシステムの正体は見破られた。

 

「いっさいは苦しい」

「いっさいの望みは苦しみに帰結する」

「希望や夢などは成り立たずすべては苦しみである」

 

 苦しみはもう、どうしようもないんだからね。

 苦しまないように生きた方がいいんだけど、苦しまないわけにはいかないんだから、どうせ、あんた苦しむよ。おれも苦しんでいるが、あんたも苦しいし、可愛いあの子も相当苦しいぜ。おれの苦しみに比べたらあんたの苦しみは苦しみに値いするかどうかわからないくらいの苦しみだが、おれの苦しみだってそう大そうなものではなくて苦しみらしい苦しみの範疇を出ない、そこへ来るとあんたの苦しみもまた捨てたもんじゃないから苦しみの神髄というか、そういうものをすっかり包含している苦しみなんだな。

 苦しみを脱する方法としてファックドラッグミュージックダンスなどを選ぶ連中は苦しみの取り扱い方に不慣れなんだよ。そんなものでは苦しみを増すばかりですからね。どうして蟲にさされたらムヒを塗るんだか、よく考えた方がいいよ。抗ヒスタミン剤が効くんだよ。ファックドラッグミュージックダンスの類は抗ヒスタミン剤どころか、正真正銘のアレルゲンだからやめといたほうがいいぜ。

 苦しみを味わいたくない、というのはちょっと無理だ。科学が発展しようが魔術が発展しようが人間は人間の苦しみを減らすことはできない。減らそうとする試みが部分的に成功したって、また別の苦しみが生まれるからプラマイゼロ。永遠のゼロサムゲームだ。そういうふうに世界はシステマティックにつくられている。観察すればわかるよ。だけどまあせめて苦しみを拡大させない方法くらいは発見したいものだよね。発見した人間いる?

 

 いるよ。

 

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