ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

大阪と日中韓

今日は故あって橋下市長についての一連の報道を調べた。
テレビで報道された通りに橋下市長を解釈するならば、まず彼は、新自由主義に近い考えを持っており、カリスマ的な指導力と魅力を兼ね備えた人物である。
そして教育改革に関して並々ならぬ熱意を持っている。
かつて私立高校の援助金撤廃(減額?)の際に、援助金の存続を望む高校生と討論し、容赦なく接していた態度が報道されていただけに、教育の分野への強いこだわりは大変印象的だ。
彼の発言の中には、教育とは社会に出てからの競争に耐えうるための試練だといった意が読み取れることがあるし、またはっきりとそう述べることもある。
この考えが、新自由主義に近いものではないかと思うのだ。自由競争の礼賛(礼賛、とまでは言い過ぎか。少なくとも彼は競争を否定せず、受け入れている。)と自己責任論(一応彼は、「敗者は必ず救います」と述べているため、なんらかのセーフティーネットを設ける意思はあるようだ。)にそれが如実に表れている。

またネット上を見ていると、橋下市長のリーダーシップや真摯な態度、柔軟な対応や巧みな弁舌などを評価し、期待する声が多いようである。少数の橋下市長への批判は、主にそのカリスマ性に警戒を示し、暴走を懸念する類のものである。また、これは新自由主義への批判ともとれるが、社会の最下層の人々への保護、福祉が軽視されるのではないかという意見も見かけた。だが興味深いことに、橋下市長を支持しているのは正にその社会の下層の人々であるという意見があった。一見すると劇場型政治ともとられかねないその派手で効果的なパフォーマンスによって、政治に無関心な層の支持を集めやすいというわけだ。


私としては、橋下氏のスタイルに大変共感を覚える。
「批判はどんどんください。お願いします。」
といったような発言、及び真摯な姿勢、そして卓越した弁論術は、もし私が政治家になったら、、、と妄想したときに描く、理想的な態度だ。その態度が本当のものなら、橋下氏は私にとって理想の政治家だ。まあ、その態度が偽りのものであったとしたら、次の選挙という審判で裁かれるのだから、余り問題はない。公務員と違って、彼は成果を評価されるのだ。

唯一の欠点は、劇場型政治と批判されてしまうという弱点だ。
大変センセーショナルな人物及び政策なので、直ぐに過去の独裁者に結び付けられて批判にあうように思う。
裏を返せば、他に批判のしようがないということなのかもしれないが。



話は変わるが先ほどフジテレビで大変興味深い番組を放送していた。
日中韓の論者を招き、討論させるといった内容のもので、エンターテイメント色は強いものの、田原総一郎氏や石破茂氏などが出演しており、韓国側も大学准教授(助教授?)を出演させていた。
特に今話題となっている韓国の国策による芸能分野での海外進出の項では、なかなか議論がヒートアップしているように見えた。
全体を通して感じたのが、日本側の論者(芸人や女優?など非知識人含む)が「日本は成熟した国。中国韓国は非成熟の国。両国とも日本が辿った道筋をこれから辿ることになる。」という前提で議論をしていたのではないかということだ。このような認識はもう古いのではないか。



今日のナスカラ大盛りはなぜかご飯の量が少なくて、悪い方にブレてました。以上レポっす。