ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

本日的日誌

今週のお題「文化祭や学園祭の思い出」

私の通っていた高等学校の文化祭にはちょっとした伝統があった。
それは戦後まもない1947年に開始されて後、連綿と途切れることなく続いていたのである。
そのちょっとした伝統とは、「四天王」の選出である。
四天王とは、学園最強の男ないしは女のトップ4のことである。
最強とは、いかなる分野での最強をさすのか?
答えるまでもない。生物学的見地からみた総合的な強さ、すなわち学園内ヒエラルキーの頂点の座に居座るものこそ最強と見なされるのである。

さて、私の代の四天王選出は、あらゆる分野から並々ならぬ関心を払われていた。というのは他でもない、候補にこの私始め、超高校生級の能力を持ってる人物がすくなくとも5人はいたからである。

私はともかく、残りの4人のちょっとした紹介をしておこう。
1人目は笹木裕也。フランス外国人部隊に所属経験がある。
2人目は今田道夫。日本史の教科書の内容を全部暗記した。
3人目は豊島信二。誕生日がクリスマスだった。
4人目は星野美佐男。万世一系の血筋を誇る名家、星野家の跡取りだ。

せっかくだからやっぱり私の紹介もしておこう。
名は伏せる。とある武術を代々将軍家に教授していた家系に生まれ(柳生の他に、極秘裏に伝わってた門外不出の武術である)、その跡継ぎとして厳しい武人教育を施される。父の教育方針はスパルタを参考にしたもので(意外にも父は西洋かぶれだった)、村内を全裸で毎日運動し、村内のみならず隣町においてもちょっとした語り草になっていた。私は期待以上の才能を順調に開花させ、13歳の頃にはその能力が認められ1つ年下の妻を娶る。結婚早々第一子をもうけ、その後も第二子、第三子と早いペースで子供をこしらえた。当然妻のほかに妾がおり、そちらが産んだ子供は最終的には20人を超す。妾はどうやって作ったかというと、もちろん下女として雇う余裕が家にはあったから、通っていた村の中学校のめぼしい女子に声をかけ、専属のリクルーターを通してその女子の両親共々説き伏せて家に迎えてしまうのだ。私の入学早々、12歳にして既に大人の魅力を持ち合わせていた巨乳の森恵子、年上の15歳であったが今だ第二次性徴が来ず子供っぽいあどけなさをいかんなく発揮し少なからぬ男子の関心を無意識に集めていた中田里美、中学に上がる直前からだんだん疎遠になっていったが持ち前の可憐さと無邪気振る舞いが見せる性的魅力は失わなかった幼馴染の白川唯などは、皆妾にした。


結論から言うと家の力で四天王制度は廃止し、代わりに美人コンテストを開催させた。学園一の美人を決めるもので、ここで定義される美人とは単に外見の美しさだけでなく、性格、学力、体力、知力、家柄、貞操などを総合的に鑑みた女性の美しさ諸要素を最も完璧に兼ね備えた人物のことである。当然このコンテストは私の妾候補選出が隠された目的であったわけなのだが、その話は次回にしよう。