ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

『求職活動に失敗し続ける青年たちへ』

 拙僧には見える。まるで毒蛇のように、多くの妄想が諸君らの頭に巻き付いて離れようとしない。まずは知らぬ間に心中に忍び込んだこの黒く邪悪な蛇を認識することだ。曙光とともに目覚め、太陽神の激しくも慈悲深い息吹を浴びよ。悪戯好きな朝風の精霊が、ちょこまかと動き回るのを頬で感じて微笑むことだ。
 なぜ諸君らは金銭を扱う道を志すのか。そもそも我々の種族は特別神々の恩寵にあずかることが出来、真理を志向することの許される幸いなる魂を有している。動物とは明確に区別されている、我々の生における第一の目的は、真理探究である。決して所有権――自然圏における人間同士の惨めな陣取り合戦の勝敗の帰結であるところの――を拡大し、動物的な諸満足、すなわち食事の満足、生殖の満足、睡眠の満足を得ることが主たる我々の生存動機となるべきではない。これらの諸快楽は第一目的に対して従属的、副次的報償でしかないのである。しかしこれは確かに経験的に言えることだが、我々は肉体によって、動物的欲求への恐ろしいまでの憧れに支配されている。人間は神々と動物の中間的生物とはいえ、まだまだ動物により接近しているのである。ただしどれほどそれが小さな部分であろうとも、神的な性質は動物的性質よりも優先して働かせられなければならない。ただし神的性質であるところの真理への憧憬を発揮するためには、肉体(動物的性質)に餌と愛撫を与え、よくよく宥めておかなくてはならないのである。さもなくば、肉体は魂に荒々しく牙をむくだろう。あるいは、魂とともに力なく滅びてしまうだろう。諸君らはなぜ金銭を扱う道を志すのか? すなわちなぜ、諸君らは真理探究のみに専心するのではなく、俗世のわずらわしい舞踏、喜劇、どたばた騒ぎに付き合おうというのであるか? 全ては肉体の充足のためである、と我々は言うことができる。肉体の充足はしかしそれ自体が終局目的であると誤解されてはいけない。肉体の充足はまた魂の充足という目的の手段にすぎないのである。
 拙僧は真理探究のために己の魂を善く働かせることを欲する。己の魂の働きのためにはまた、己の肉体が必要な欲求を満たしている状態が好ましい。拙僧の肉体は最低限次のことを要求する:肉を含むフランス風、イタリア風、ブラジル風、あるいは日本風の上等の食事を日に三度以上。まるで楽園の泉から汲んできたかと思われるほどの無垢な清水を、必要な時に必要なだけ。身を清潔に保つための質の良い諸薬品を適量。王侯貴族のように気高く見栄えのする衣装。靴や手袋といった細々とした身の回りの品。気迫を込めて鍛え上げられた剣。肉付きのよい軍馬。貴族らしい立派な屋敷と実り豊かなる土地。使用人たち。雲のように柔らかな寝具。健康的でまた美しく細身の愛情細やかな妻たち。血の通った彫刻とでも言ったがような女神の肌持つ幼い少女たち――。