スーパーマーケット一幕
「まあよしなよそんなこと、盗みはやっちゃあいけないよ人間なんといっても」
「そうは言うがねえ、俺は敬虔な気持ちでこの仕事に取り組んでるんだよ、ええ? いわゆるまともな人間たちこそねえ、俺から見れば、神から盗んだものを食って飲んで纏(まと)って暮してるんだからさあ。祈りと犠牲を捧げずに獲得する農産物、畜産物なんて全部、自然界からの簒奪物だよふんとにもう」
「奇妙な説を振りかざす人だねえ、あんたのそれも盗みは盗み、とにかくいけないことだろうに、ましてや神様の目の届くこんなところ、太陽の下、真昼間っから」
「俺のは盗みってよりはさあ、不当な収穫物を取り返し、俺が丁重に人間を代表して正当な所有者に祈りと犠牲を払って許しを乞うた上で、そのほんのちょっとのおこぼれに与るだけの、些細で卑しい取り組みだよお、神様も哀れに思って罪としないさね」
そう言って大澤二郎は白昼堂々、スーパー「イデオン」の精肉コーナーで大量の商品を自分の手提げに詰め始めた。豚バラ肉からしゃぶしゃぶ用の高級なロースまで、何でも見境なく放り込んでいく。これら全てを万引きするつもりなのだ。
「ええい何をやっとるそこのあんさんども、自分のバッグに未清算の商品を投げ込みやがる。店を出るまでは犯罪にゃならないとはいえ、これはもう半分以上犯罪、犯罪の沼地に腰まで浸かった状態じゃねえの」
二人が声にぎょっとして振り向くと、すぐ背後に中年のスーパー店員が立っていた。貫禄からして、おそらくここの精肉コーナーを取り仕切る幹部だろうか。
「俺の高齢者の万引き阻止件数は年間4万件。未成年の万引き阻止件数年間2000件、そしてあんさんらのような青年層の万引き阻止件数は――聞いて驚くなよええ?――年間50万件だいね。どうだいさっさとキミら逃げ出したほうがいいじゃろなあ」
自信満々の精肉コーナー幹部の面持ちに大澤は一瞬たじろいだが、すぐに持ち前の強気を取り戻して言い返した。
「何が万引き阻止件数だな、オジサン、どうも大げさなこと言うんでいけねえや。年間千も万もそんなに店でモノ盗む輩がいるわけないだろうになあ、見え透いたウソをついて何やら客にいちゃもんをつけやがる、きっと悪いオジサンだよオジサンはさあ」
「ふんその手提げパンパンに膨らましといてよく言えたもんだあそんなセリフがよお、知ってるか、2012年に施行された、高齢者及びその他の客層による盗難事件防止条例をよお、この条例によれば、店員は適切な武力によって不埒な客を鎮圧することが出来んだよね。そして店員のフェアーな捜査によって見事その犯行の意思が明らかにされた場合、その被疑者は最低7年間市民権を失い、法律の保護から外れるのよお」
「つまりどういうことだいね、そりゃあ」
「……おんどりゃてめぃのごとやくざなちんどんを屑野菜にして地獄にうっちゃるってことよお!」
叫ぶと同時に、精肉コーナー幹部は大澤の頸を掻っ切ろうと、いつの間にか手にしていた肉斬り包丁を振り回してきた。
「俺ぁ大丈夫だからお前下がっててくれ、俺の仕事にこんくらいの危険は茶飯事さね」
「そんなこと言ったってほら盗みなんてするからこんな目に遭うんだよお」
「まあ黙って下がってろい!」
大澤は刃物を持った狂人と対峙して、特別焦りの表情も恐怖の感情も見せず、冷静な顔つきで攻撃を回避し始めた。まっすぐ頸を狙って繰り出される突きを軽快な体捌きで受け流し、鋭いステップで相手に肉迫し凶器を奪おうとする。しかし精肉コーナー幹部もすぐにその意図に気づき、容易に武器を奪われるようなことがないよう複雑なフェイントを組み合わせ大澤の目をくらまし、有利な距離を維持する。
「なかなか心得があると見たよ万引きのあんちゃん、ええ? この畑じゃあんまり見ないがね、こうした使い手は」
「なにあんたも、ただのボロっちいスーパーの肉係りにしちゃあ、動きやがらあね」
ベテランの戦士はほんの数瞬相手の闘いを見ただけでその実力を知ることが出来る。大澤、精肉コーナー幹部両者とも、幾多もの鬼門を潜り抜けてきた猛者だ。互いに一筋縄ではいかないと感じ始めていた。
しかし精肉コーナー幹部が攻めの姿勢を崩す気配は無い。それどころか、またしてもどこからかいつの間にか武器を、今度は拳銃を持ってきた。さすがに狼狽する大澤の眉間を狙って、ためらうことなく発砲。銃弾は狙ったコースを上に逸れ、大澤の髪2,3本を道連れに、20メートル先の鮮魚コーナーの解体加工室の防弾ガラスにぶつかって大きな音をたてた。
「さ、さすがに銃はいけねえや」
大澤の泣き言を聞かず、2発、3発と続けて銃弾が発射される。銃声を聞き、事情を知らぬただの買い物客は全員逃げ出し始めた。驚いたことに、店員たちに混乱はない。彼らにとって商売は生業であり、生存のための熾烈な闘争である。万引き犯を発見したならば、いかなる荒っぽい手段を用いてでもその不埒者の命を代価としてきっちり頂かなければならない。疑問など感じている暇はない、やらなければこちらがやられる、弱肉強食の世界に生きているのだ。
「だがあんちゃんいけねえな忘れちゃあよお、ここは俺が40年働いてきた土地、いわばケツの皺の数さえ知り尽くした女みたいなもんさあね、なにから何まで知り尽くしちまってえ、飽きるくらいに、もう。これからあんちゃんが避けるなら左に重心を一気に傾け、そこの菓子コーナーの棚に身を隠すしかねえ。そうだろなあ? あきらめなって、よお、俺もう次は外さないんだから念仏でも唱え」
大澤の回避運動の癖を大体把握し、次の弾を確実に命中させる自信のある精肉コーナー幹部は、最後に大澤に挨拶を送る。
「こんちくしょうめが、しょうがねえな、確かに俺ぁこのスーパー特有のつるっつるした床に困っちまわあ、行動が単調で、てめえのようなこんこんちきにもばれちまう、しょうがねえな、ええ? だがまあ撃ってみろって、撃たなきゃ分からんこともあらあね」
大澤は敗北を悟りつつも、挑発の調子を表さずにはいられない。それに確かに銃みたいなインチキな武器は、撃った弾が相手に当るまで信用がならないものである。実際彼は銃に関して福岡で手痛い教訓を学んでいた。だから最後の瞬間まで希望を持つのだ。……そうだろう、俺、大澤二郎よ、最後まで神様は俺を見てくれている、鉛の塊などに魂は打ち砕かれない、魂を滅亡させるのはただ一つ、不信心の邪念のみ……。
「じゃあホントに撃つかんな。あばよあんちゃん万引き犯の乞食やい、あの世じゃ腹一杯食えるといいな」
引き金が引かれた。
精肉コーナー幹部の熱意により、光速に等しい速さで銃弾は大澤の眉間に迫った。
しかし、この光景を眺めている誰もが、大澤の死を確信したその瞬間。文字通り神が降りてきた。
「アキレスと亀どっちが速いのか言ってみよ、肉売りを生業とするストレイ・シープよ」
「あらまあ神さまじゃねえか、ええ? そんなこと分かりゃしねえよお、アキレスは絶対に亀に追いつけない気がするんだよなあこりゃよお」
「さらば銃弾も、この敬虔なる青年に命中しやしないだろう」