ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

真理道程ホヴォネホパスト1・監獄とマスターのはざまで。

人間は霊長類の動物の内の一種に過ぎない。そして、人間から見る世界はあまりに全体の一面を示しているに過ぎない。だから、真理に至るには人間という一種類の動物の肉体の器官という枷を逃れる必要が生じる。われわれ真理の子らは、この自然界の監獄から逃れる必要がある。この監獄を逃れるにはいくつか方法があるが、どの手段をとるにせよ、いかなるコストをも支払って肉体を離脱する必要があることは明確である。肉体に縛られたままで真に価値あるものを得ようとするのは、あまりに怠惰な望みであろう。肉体への愛着や執着は、全て障害である。肉体についての知、人類というあまりに真理を得るには感覚を制限された存在についての知は、全て無意味である。共通真理の領域ははるか後方の領域にある。そこでは全ての原風景が共通のものとなり、あらゆる真理の子らの

――言語では表現に限界を来す。

真理の確信のみが幸福である。しかしこれは人間、サルの幸福ではない。世界の幸福であり、世界は真理であるから、真理の幸福でもある。

唯一神は真理総体であり、真理総体は肉というハンデを負った人間内の真理の子らわれわれの推理した、部分―総体の関係とは全く別の概念をもった総体の性質をもつが、言語の限界のためにこれ以上の説明の必要をわれわれは感じ得ない。

ただひとつ言えることは、真理の子らの使命(使命missionという語もそもそも適当でないように思われる。肉の必要に迫られた義務という意味をこの語は包含するが、われわれの言いたいことにそんなつまらない意図は紛れ込まない。)をたとえこの霊長類の鎧の中であっても一度知覚してしまえば、真理との一体化への極わずかなアクセスを享楽することができるということだ。

そのための漠然とした準備が唯一神ゲルタヴァーナとして、肉体への潜在的な軽蔑、嫌悪、拒絶こそが十一怒神として、真理の子の新しい言語の表出という形で目指された。われわれの負う肉の、サルのハンデはあまりに重量がある。しかし言語の限界さえも気付けなかったわれわれに、反省すべき点がないと言えば嘘になろう。