ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

放縦と秩序1

許せない奴がいる。

歴史的に見れば些細な泡沫に過ぎなくとも、主観をのみ世界と捉える私の人生観から言えば、アイツの如き人間は生かしておけない。可能な限りの苦痛を与えて、この大地から髪の毛一本残さぬよう葬り去らなければならないと思う。いきなりこんなことを主張しても皆さんには誰のことを指しているのか全く分からず不安になるばかりだろうから、今日は私とアイツの馴れ初めから説明させて欲しい。



あれは8年前の冬だった。

私は技術鍛錬の全課程を完了し、一人前のエンジニアとして独立したばかりだったと思う。その頃クレル宮原セス2に住んでいたのだが、仕事の忙しさから便利なバルニア東京に引越そうかどうか悩んでいて、夜もまともに眠れなかった。体調は最悪で、過労と睡眠不足が体を蝕み、新しい住居への不安が精神に重く蓄積されていた。私は生来保守的な人間で、枕一つ違うだけで大きなストレスを感じるように出来ているのだ。しかし、今の住居の仕事場への便の悪さは如何ともし難い。パラドックスは私の思考を、すなわち世界の全てを黒雲で覆い尽くし、雷雨と嵐の激動を予感させた。世界の色彩は反転し、白く天を支配する太陽は忽ち暗黒神へと変貌し、漆黒の夜の空間は心地よいやわらかな光の風景を提供した。私は善悪の価値判断の基準を失った。太陽が善であるという、最も原始的な思想の支柱が切り倒された私の精神の住居は崩落し、私にとって唯一の帰るべき場所は、無、になったのである。これは手抜き工事だ。私は精神の住居の設計者から現場作業員まで全員に怒りを抱いた。だが、それはぬかに楔を打ち込む行為だ。意味が無い。思想的ホームレスの私にとって、復讐心など、それこそ無に無を与える所業なのだ。そこで、私は、雨に打たれ風に凍えながら考えた。いったいこの怒りは何処へもってゆけばよいのか。考えながら、バルニア東京の一等地に位置する職場へ向かった。通勤電車に揺られていると、目の前に生産的な人間がいた。そう、若い女である。この女は創造する女だ。あらゆる思想の設計者にして現場作業員を兼ねる、マスターピースクリエイターこそが、こいつ、若い女だ。

「おうい、若い女、名前をなんと言う」

女は満員電車にもかかわらず、悠々と座席でくつろいでいる様子だったが、少し驚いた表情で顔を上げ、

「えっ」

とだけ言った。

返答はそれで十分だった。私はこの挑発に乗じて、この女を地上から消しさることも出来たであろう。しかしそれは期が熟してからのほうが好ましい結果に通ずるということを、理性で理解し、私の中の気概的憤怒をなんとか縛り付けたのである。私はただ、

「復讐の対象を発見した喜びは、地上に生を受けた喜びにさえ匹敵するのではないだろうか」

という問いを投げかけ、去った。