ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

成功者は語る1-2

私は入院中、何回も家族に会いたいと思いました。しかし私の担当の医師や看護師は私の話に取り合わず、埼玉に帰る手段も金も無いままただいたずらに時がたつのをぼんやりと耐えるしかなかったのです。例のおじさんはその後も数回私に会いに来ましたが、それっきり、連絡先も教えてくれずまったく顔を見せなくなりました。私は途方にくれました。他にすることもないので、私のベッドのある個室の大きな本棚の書物を、漁る様に読み狂いました。学校の出来はあまり良くなかった私ですが、ほこりをかぶって本棚の底に窮屈に隠れていた国語辞典を駆使しつつ、活字の世界を一人旅しました。田舎から一歩も外に出たことが無かった私にとって、本は世界の広さと素晴らしさを教えてくれました。西洋の英雄カエサルやナポレオンの冒険譚に胸を躍らせ、ドン・キホーテの獅子奮迅を夢中で応援し、エドモン・ダンテスの復讐劇に手に汗握り、孔子に師事して道を探求し、宮本武蔵と共に剣禅一如の境地を志す。実在するしないに関わらず、世界で大暴れした先駆者達に私は自分を完全に重ね合わせ、大きな戦争、革命、あるいは一騎打ち、そして恋、に大変憧れました。そして、元から本棚にあった全ての本を読み終えて、医師が診察時に差し入れる外界の新しい本を読むために、二日に一回の診察を待ちわびる習慣が出来た頃、私は中学にあがる年齢となっていました。

病室の窓を開けると、肌寒い身を刺すような風が入ってくるようになった季節。これまで数年通りに何も変わらない日常が続くものかと考えるようになっていた私ですが、ある日医師からもう退院してよい旨を伝えられました。これはまったく青天の霹靂で、家族も金も無くなった私はどうしたらよいかまったく分かりません。しかし私の知らないところでは、万事順調に事が運んでいました。いくつかの書類が病室に届けられ、私の新しい住居やある私立中学への入学手続きが進んでいることが報告されました。本の中では経験豊富な冒険者だった私も、いざ本物の外界に出ることになるということで、些か恐れを抱きつつ、興奮に似た楽しみを感じていました。いったいあの忌まわしき事件の後、私は故郷の村、家族からどのような者とされ、社会的にどのような位置にあり、そしてこれから何をして生きて行ったらいいのか。なによりあの事件自体のオカルティックな謎。散々悩み思考し続けたことですが、この長きに渡って固定されていた環境が変わるということは私にとって無条件で歓迎すべきことであり、また読書で得た知識や勇気を存分に奮って、書物の中の登場人物のような誇り高い人生を送りたいという無邪気に近い高揚感と自信があらゆる恐れより勝りました。

何より、あの事件のことを除いて一番気になっていたのは、新しい住居のことです。書類の住所を見る限りではアパートやマンションのように部屋番号等が表記されていないので、都内に建っている一軒家のようでしたが、私の知る限りではその住所の地域は大変土地の値段が高いはずです。私の出自を考えると、このような住居に住まわせてくれるような金持ちの親族はいないはずでした。唯一考えられるのは事情を知っているらしいあのおじさんだけですが、そもそも彼はどのような肩書きの人物で、私を庇護する目的がいったい何なのか分かりません。また、この入院生活も決して安い金では不可能なはずであるので、誰かとてつもなく裕福な者がパトロンとなっているのは確実でした。とにかく、こういうところに思考を巡らせると、結局行き着くのはあの事件の真実についてです。あの事件のことがもっと詳しく分かれば、私の人生の全ての筋書きが暴露されるはずでした。おじさんの説明によると呪いだの土着の信仰だのといったものが関係しているらしいですが、どうにも馬鹿らしい。でも、読書による勉強で得た教養と自信で、どんな謎でも解決させてみせるし、どんな結果が待っていようと驚かないでいようと思いました。例え本当に超常現象に因っているとしてもです。事実は小説より奇なり、さもありなんです。現在のところ、入院以来、私の生活に科学で説明のつかない現象が起こったことは、一度たりともありませんでしたが。