ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

成功者は語る1-1

私は現在社会的地位のある人間として完成し、人並みの幸福を満喫しているわけでございますが、ここに至るまでの経歴、特に青少年期については格別の出来事の経験を多くしたので、是非記録として残しておくつもりでいます。そんな中、ここに本日素晴らしい機会を頂きましたので、その事業を実行に移すべく、筆をとるしだいであります。あなた方若い人達には大いに参考になると自負しておりますので、ご一読ください。


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 私は埼玉県北部の農村地帯に、貧しい農家の長男として誕生しました。家系図的には戦国時代に名のある武将から分家した勇猛な侍を祖にもっているらしく、なにやら親族もそればかり寄り合いで自慢していたように記憶していますが、日々の貧しさがその妙な血筋のおかげで楽になるようなことは勿論無く、一労働力として、幼い頃から農作業に従事させられていたのが物心ついた頃からの日常生活の様子であります。最近古き善き農村の姿というものが曲解されたノスタルジーで思い起こされることがどうにも都会人の間でむやみに流行っている様にも見受けられますが、百姓なんてそんなにいいものではないのです。教育も無く、ただ慣習と自然に服従する単調な生活で、慰みと言えば性の快感のみであり、人々の気性は臆病で迎合的、そして一度決めたものは覆らない頑固さから来る排外的な思想、これが全てなのです。都会から嫁に来るお嬢さんというのがたまにいらっしゃって、村中で数年、或いは数十年は話題の種にされる気の毒な偶像を演じるわけですが、どうにも可哀想だと子供心に思ったものです。あんなに綺麗で、不思議だが愉快な仕草、作法がただ慣習にそむく、舅の気にそぐわないというだけでまったく否定されて、自己というものが存在しないかのごとく虐げられて。私の母親が実はその都会から嫁いだ稀有な例にあたっていたことがその原因であることは、まあ否定しませんがね。

 義務教育にとられる時機がやってくると、親族のお下がりの皮鞄背負って、市から無料で配られた新品の教科書と握り飯を大事につめて、竹筒の水筒に井戸水を汲んで、早朝の農作業の後朝飯を平らげさっさと小学校に向かう、そんな生活が始まりました。村の小学校は今と違って木造の平屋で、教室も4つしかなく、学年ごとに教室が分けられているわけではありませんのです。1年生から6年生まで、おんなじ教室で厳めしい顔つきの先生の授業を、何時打たれるかとびくびくしながら聞いておりました。しかし、先生の目の届くところではびくびくしていても、やはり子供、農作業なぞよりかはよっぽど学校でよそん家の子供と遊んでた方が愉快ですから、授業の合間の休み時間などは、毎日楽しくて仕様がありませんでした。山駆け、逃げ跳び、ふっかけ、戻り子、なんでもやりました。小学校の、校庭と言うには現在のもの比較してずいぶん小さい庭ですが、校舎裏の芝と石の混じった広場が、体育、教練、石投げの戦争、全ての無邪気で煌びやかな活動の記憶の、その舞台を提供しました。確か当時ほとんどその周辺の家が檀家となっていた、浄土宗の寺と接していたと思います。坊主が秋になると先生連に柿などを差し入れていた気がします。

 村の小学校の児童は、当然皆同じ村の農家の子弟であるので、顔馴染みばかりです。1年生から6年生までで、まあ合計30人程度だったと思います。お互いがお互いの顔と名前、家の場所、さらには親の顔や性向までもを知り尽くしており、村の派閥がそのまま子供にも派閥を形成させていました。私などは元より貧乏で、地主に近いイヤミな派閥には入らず、卑しい者同士で自然とより固まって行動をしていたのです。特に親しかったのが、乱暴者で喧嘩じゃ負け知らずの与太郎吃音が酷い田吾作、隣の田んぼの娘のよし子、家が村八分状態のみね子、の4人でした。この4人に私を加えた5人組みは、最年長の与太郎を最高指導者として、常に共に行動をしておりました。

 ある日、事件は起こりました。数日前の雪がまだ解けきらず、道はぬかるんで足は汚れ、寒さでしもやけが肌を赤と痛みで染める、そんな厳しい冬であったと記憶しています。私の家には先の武士の血統がどうだとか、そんなことが関係していたかはまったく分かりませんが、貧乏にもかかわらず蔵、というには貧相であるものの、小さい倉庫が母屋の隣に鎮座していて、なにやら大事な家財道具をしまってあったのでした。当時の私はそんな倉庫を、なんだか分からないが面白くも無いから、近づいて研究することなくなんとなく過ごしていたのです。しかし夜、草木も眠る丑三つ時、であったかどうかは定かではありませんが、猫も犬も鳥も、家のものも皆寝静まっている中、用を足したくなって屋外に在る雪隠に向かいました。土間で草鞋を履いて、木の戸を静かに開けつつ片手では股ぐらを押さえ、内股で急いでいると右手、例の倉庫になにやらただならぬ気配があります。雪に月が反射して妙に明るく、そして妖しい乾いた空気の冬の夜はなんだか恐ろしく、倉庫を意識して視界に参加させないようにしながら雪隠にたどり着き、びくびくしながら一仕事終えまして一呼吸。用を足して落ち着いた。ああ、駄目です。無視はどうやら出来ない。間違いなく倉庫には尋常でない何かが潜んで、こちらを待ち受けているに違いがないのです。それから私の行動は早かった。恐れ、不安、そういったものを月と雪の穏やかな光が吸い取ってくれたのでしょうか、ふらふらと好奇心ばかりいっぱいになった心臓がよく運動し、足が鉄道のレールを舐めるが如く、スムーズにそちらへ引っ張られていくのです。倉庫はぼんやりと照らされていますが、それでいて何か黒く粘着性のある印象を与える雰囲気を纏い、私を期待するのでした。

 常時、施錠されていたはずです。だのに倉庫の黒ずんだ木の引き戸は、恐る恐る力を入れてみると、意外なほど滑らかに横にすべりました。開いた戸からは、小さな倉庫でしたから内部全体が見渡せます。倉庫のちょうど中央あたり、入り口から3歩ほど踏み込んだところに、大きな木の長方形の箱が置いてありました。置いてあったというよりかは、何か元からそこに発生していた、生息していた、そんな表現が正しいのかもしれません。木箱それ自体がそこを望んでいたかのような、配置の違和感の無さ、いや、逆に大きな違和感と言うべきか、不自然さをひしひしと感じる黒い雰囲気。6尺ほどの長さの長方形は、ちょうどおじいさんが死んだ時に入れられたあの棺おけを思い出させました。何が入っているのか。まさかおじいさんではあるまい。おじいさんが土葬されるところはしっかりこの目に焼き付けていたのです。それに、定期的な墓参りに行って、おじいさんが埋められた場所が掘り返されること無く静寂を保っているのを、毎回確認していたのですから。となると、おじいさん以外の人の遺骸?まさか。或いは、ただの農機具が仕舞われている、そうだったら安心な反面、残念な気もする。尋常ならざる今日の暗闇の印象と、倉庫の不思議な吸引力から考えて、そんな平凡なものが入っているとはもはや到底思えません。好奇心は私の腕をしっかと掴み、その長方形の木箱の重い蓋に触れさせました。深呼吸の後、遂に覚悟を決めて、蓋を持ち上げ、木箱の右側にカランと落とします。初めはどうも暗くて木箱の中身がまったく見えません。何も入っていないのかとも思いましたが、その黒い長方形の深淵に手を沈めると、何か、獣の毛のような、また布のような、湿った冷たい感触を得たのです。驚いて手を引っ込めた次の刹那、箱の底が黄色い2つの光を放ち、何か野太い熊のささやき声のようなものが聴こえました。そして目の前に赤みがかかり、半透明の輪が視界の中で踊り始め、倉庫の屋根が空と繋がり、地面が割れ、天も地も無く、私一人がまったく何にも接しない奇妙な空間に放り出された感じがして――意識を失いました。

 目を覚ますと私は、親族に囲まれていました。布団を跳ね除け起き上がり、辺りを見渡してみると、全て見知った顔が私を取り巻いています。どうも変な様子です。何かを恐れているような表情がありありと見えます。そういえば、距離がおかしい。私の布団から、皆3メートルは距離を置いてこちらを見ています。この広い空間はどうやら学校の隣の、浄土宗の寺のお堂の中のようです。私は葬儀やらなにやらで、ここへ数回来た事がありました。変な取り巻きの中に母の姿を見つけると、私は声をかけようとしましたが、その瞬間大地が震えだしました。地響きのような、唸る怒涛のリズム。お堂の中の親族全員が、いっせいに何か般若心経のようなものを唱えだしたのです。声量と距離感から判断して、どうやらお堂の外にも親族以外の村人が、相当数集って経典を唱えているようでした。私は混乱し、怖気づきました。いったいこの状況はなんだろう。そもそも、昨日の木箱の中身を確認したところからの記憶が曖昧で思い出せない。何とか思い出そうとしてみても、上手くいきません。呆然としているうちに、輪唱が耳から脳に浸透して意識の柱を捕まえてなぎ倒し、再び私は気を失ったのでした。

 次に目を覚ますと、知らない白い天井が頭上にありました。どうやら都会の病院に入れられたようなのです。この辺の記憶はどうも今でもはっきりしなくて、ぼんやりと入院生活を送る中、ある日尋ねてきた遠い親戚筋の者だと名乗る中年の、身なりのしっかりしたおじさんが、不可思議な説明をしていきました。曰く、君は代々家に伝わるある自律的「呪詛」に魅入られた。普段親族は、先祖が武家で、などと眉唾物の自慢話をしているが、自分の研究によると決してそれは事実ではなく、村に土着の妖しい信仰を司る神職に携わっていた家系こそを我々は祖先に持っている。通常なら、あの木箱が起動することは無かった。家の者は昔の信仰など忘れているし、ほとんど不自然と言ってもいいくらいにあの倉庫に関心を持たない。だから代々何事も無かった。しかしながら、今回は様々な条件が一挙に揃ってしまった。例を挙げるなら、君が普段親しくしていた4人、彼らは全員かつての土着宗教に比較的強く関係する血を引いていたし、さらにあの晩は、難しい話になるから詳しくは省くが、月と星の配置や年号、気候の条件が最もあの箱を起動するにふさわしいものであった。どの要因が引き金になったかはっきりとはまだ分かっていないが、おそらく、そういった小さな原因の積み重ねが影響しているのだろう。君はこれから家族と再開できないのはもとより、あの村に近づくことも生涯無いと思う――。