ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

遠人愛

現在僕は携帯電話の電源を常時切っている
これによって携帯の着信に常時煩わされなくてよいという寸法だ
便利な道具がときに人に不便を強いる愉快さったらない

人は富める時に貧しいときの話をしてはいけないのだろうか
貧しさを身を持って現在進行形で体験していない限り、あらゆる思索は砂上の楼閣に過ぎないのだろうか
当事者でもないのだから批判をするな、という文句はいたるところで聞けるものである
しかしその論で行くなら、誰も自分の代理人を批判できなくなる
批判したとしても、その批判は誤っているということになる
実際そうなのだろうか
実際、ある事で一度後悔して、もう二度とするものか、と心に決めていても二度目を行って再び後悔することがある
人は忘却する動物であり、経験から学ぶ能力を過信してはいけない
例えばこのあいだまで僕は貧乏でギャンブルに嵌って自滅する人間を疑問に思っていた
なぜ彼らはギャンブルという娯楽を選択するのか
僕ならばお金が無ければ、文化的セーフティーネットである図書館で文化的に生活するのに、と
しかし実際彼らギャンブラーの人生を経験してみれば、あらゆることが見えてくるだろう
もしかしたら彼らは、ギャンブルという刺激の強い娯楽しか楽しめないのかもしれない
ゆっくり読書をする集中力が、労働の疲労やストレスによって欠けているのかもしれない
貧乏とは金がないだけではなく、ほかに様々な要因が付随するのであろう
そしてそのことが、一見すると富める者からしたら不合理に見える行動をとらせるのである

つまり、当事者でもないのに批判をするな、という文句は、批判の対象に対する認識の欠如を指摘するための、強調表現か


ちなみに富める、という表現はここでは日本において町で目に付くほとんどの人に使える形容詞である