ゲルタ・ストラテジー

唯一神ゲルタヴァーナと怒れる十一の神々に敬虔なる真理探究者たちの散兵線における無謀を報道する。

『ダルタニャン物語』その知られざる魅力

おれに『ダルタニャン物語』の話をさせないほうがいい

 

 おれに『ダルタニャン物語』のことを語らせたら大変だよ、そりゃもう比喩ではなくほんとうに24時間くらいぶっつづけでしゃべり続けかねないからな。おれをとっつかまえて「ダルタニャン元帥のことを教えてくれ」と言ってごらんよ。そしたら貴公の一日は、まるまるダルタニャンの武勇伝を聴いてそれで終わっちまう。飯を食う暇もないだろうからな。そのくらいおれは『三銃士』『二十年後』『十年後』にいれこんでいる。心酔している。偉大なる著者アレクサンドル・デュマを「師」と仰ぎ尊敬している

 

 人にはひとつくらい、そういうものがあるだろう。「この物語はおれのために創られたに違いない」と錯覚してしまうようなのが。気が狂わんばかりにアイドルにいれこんだり、アニメーションに執着したり、特定のミュージシャンに身も心も捧げたり、と、世の人間たちは意外と忙しくやっている。凡夫であるおれもその例外ではなく、ただその対象が『ダルタニャン物語』だったってことだ。

 

 じつは『ダルタニャン物語』の愛好者というのは世にたくさんいて、みな自分の趣味を隠して生活している。隠さざるをえないのだ。なぜなら「おれは『ダルタニャン』が好きだ」と公言することは、「おれは貴族で、決闘好きで、王権神授説を受持していて、ブルボン王朝のために剣をとる覚悟がある」と告白するに等しいからだ。パリの政治情勢が悪化している現在(2018年12月)、そんなことを公の場で口にしたら、たちまち公安警察にとっつかまっちまう

 

 まあ、人のことはどうでもいいのだ。おれ自身の話をするとしよう。おれがどのくらい『ダルタニャン物語』に愛着を抱いているかといえば、「まったくの他人が『三銃士』のことを話していたら、剣でぶっつり串刺しにしてやりたくなる」ほど好きなのだ。これは危険な兆候だ。狂人の一歩手前だ。自分が好きなモノについて、他人がどうこう言っているのを聞いたら我慢ならなくなる、というのは、もう病気だ。ストーカーだ。独占欲が強すぎる

 

 他人に『三銃士』を読まれるくらいなら、いっそデュマの著作なんぞはすべて焼きはらって、人類の歴史から抹消してしまいたい。『三銃士』が映画化するくらいなら、あらゆる国際情勢を無視してハリウッドに百万の軍隊を送りこみ、製作スタッフを拉致・監禁だ。かれらに徹底的な餃子の王将式新入社員研修を施し、もう二度とカメラなんか手にせず、一生をギョウザと接客とに費やすよう教導してやるつもりさ。

 

 申し訳ないが、そのくらい好きなのだ。だから、おれの前でダルタニャンの話をしないほうがいい。それよりもむしろ、おれに、東野猛に、ダルタニャンの話をさせるよう仕向けたほうがよい。おれがダルタニャンの話をする分には、せいぜい貴公の休日まる一日が無駄になるだけで済むが、貴公がダルタニャンの話などした場合には、生命を失う恐れがある

 

 とにかくおれが言いたいのは、『ダルタニャン物語』にはそれほどのパワーがあるってことさ。悪いが、貴公たちは読まないでくれ。おれのもの、おれだけのもの、だからな。この物語は、詩人アレクサンドル・デュマが、おれのために書き下ろしてくれたものなのだ。デュマの遺言にもしっかりとそう書かれている(アレクサンドル・デュマの遺言状は、辞世の句とともに深谷博物館に展示されている)。疑ってはならない。ゆめゆめ疑うな。さもなくば、決闘ですぞ!

 

 先日、おれの盟友(ゲルタ・ストラテジー・パンデモス建国準備委員会のメンバーの一人)が、「そういやおれのばあちゃんも『三銃士』が好きだったんだよな。なにかあるごとに『三銃士』って言ってた」と明かした。おれはじつに嬉しくなってしまった。老婆が『三銃士』を好む分には、おれの独占欲のフィルターが機能することもないようだ。大変すばらしいじゃないか。老年のたのしみに、胸の内に一匹のダルタニャンを飼っておくというのは、とても明るく陽気で、とことん生を謳歌しようという人間の行いだ。賛嘆すべき偉業だ。話は変わるが赤川次郎の小説にも、『ダルタニャン物語』に惚れこんで頭がおかしくなった男が登場する。おれだけじゃないんだよ、この物語にコロリとやられちまうのは

 

 『三銃士』は魅力的だ。大変に魅力的だ。恐ろしい魔術だ。決して、読まないように。おれは本当はこの記事で『三銃士』の魅力を逐一解説しようと思っていたが、やめた。危険すぎるからだ。ちょっと言葉の使い方を間違えただけで、貴公たちの人生を台無しにしかねないのだ。繰り返し言うが、『三銃士』ひいては『ダルタニャン物語』三部作を、決して読まないように

 

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友を選ばば――三銃士!

 

悪夢を見ない方法について

 長い間おれは悪夢に悩まされ続けてきたが、最近になって革新的な解決方法を実践し、これがすばらしい効果をあげているので紹介しようと思った次第。

 

悪夢の特効薬、それは寝ないことだ。

 

 悪夢を見たくなけりゃ、寝ないことだ

 

 寝ない、というと極端すぎる。そりゃ人間睡眠時間ゼロで暮らせるようにはできていない。おれはまるっきり睡眠を断てというのではない。ただ肉体の維持に必要な時間だけ、寝ればいいという立場だ。肉体の維持に必要な睡眠時間というのは何時間か? 世の中では「8時間くらい」というのが定説だが、おれはこの常識をまったく信じていない

 

「1日8時間寝ろ」が嘘である可能性(要検証)

 

 たぶん、「8時間寝ろ」という定説をつくりあげた手法は、寿命の長いばあや・じいやの睡眠時間を追跡調査して抽出するってなもんだったんだろうが……そこから生じたデータは本当に信頼できるのだろうか?

 

 ひとつの比喩をとりあげよう。

 

 過食症の人間を研究所に集め、「あなたのふだんの食事摂取量」を教えてください、と訊ねる。そうしてデータを集めて、平均を出す。たぶん、「一日ケーキ3ホールは欠かせません」とか「チキンカツを喰うよおれは。一日10つは喰うだろうな」とか、そんなのばっかりだろうから、おのずと平均値もとんでもないことになる

 

 そのとんでもないデータを「これが人類の平均食事摂取量です」と提示したら、どうだろう。「バカにするない。サンプルが偏っているじゃねえか」と、思うだろう。

 

 睡眠に関しても同じことが言えはしないか。人間は大半が怠惰な生き物であるから、自然、睡眠時間をたっぷりとる。ましてやいい家に住んで悪天候や猛獣たちから守られ、ぬくぬくの布団まであてがわれた人間のことだ。寝られるだけ寝る。惰眠をむさぼる。と、いうことになるだろう。

 

 つまり人間はだいたい生まれながらにして睡眠の「過食症ではないだろうか。検証のしようはないが、睡眠に関してよくよく自制している人物は、人間のなかでは多数派ではない。だから睡眠の平均データをとる場合、過食症の人物を集めて平均を導き出しているに過ぎない。寿命が長い、というのも、睡眠に関係あるのかわからんよ。むしろ長く睡眠がとれるほど心安らかである、というのが長寿の原因かもしれんぜ。

 

 だからおれは睡眠8時間説を疑っている

 

悪夢の来訪

 

 いままで言ってきたのは統計の話だが、おれの主観的な体験から言っても、睡眠なんてロクなものじゃないと実感している。

 

 まず長く寝ると精神状態が悪くなる。気持ちが悪くてしかたがない。一日(活動時間)が短くなるので、そうとう損をした気分だ。最悪だ。「起きている時間=ほんとうの寿命・活動できる時間・生きていると実感できる時間」だろうよ。だから、よく寝ると、寿命が減る。そう考えるべきだ。

 

 それに、悪夢は寝過ぎたころにやってくる。だいたい悪夢ってのは明け方にみる。眠りについてから5時間、6時間ころのことだ。これが不快でしかたがない。脳のリソースを浪費している気がする。変な妄想をつくりだして、身体を危険にさらしている気がする。少なくとも悪夢が身体に悪いってことは、よく理解してもらえると思う。起きてから数時間は、ヘコむだろう。あれが健康なはずないよ。

 

おれにとっての適正睡眠時間

 

 おれはいろいろ試したけれど、23時に寝て、3時半に起きるのが一番身体にぴったり合っている。これなら8時間寝るのに比べて、一日がとても長く感じられて楽しいし、あらゆる活動、学習、交友がはかどるのだ。心理的にも「寝なきゃ」とせっつかれる感覚がない。夜遅くなっても、「きょうは徹夜になっちまうな。まあいいか」くらいなもんだ。ぜんぜん気にしない。それはとても前向きで明るい考えだ。実際、寝なくても身体はそれほどだるくならないし。すぐに慣れるよ。じつはあまり寝なくなってから、健康診断の結果も「よくなった」。睡眠が原因かどうか、本当のところはわからんが。

 

 おれも以前は「寝ないやつはバカだ。身体を壊すぞ」と思っていた。思っていたけれど、いざ、検証してみることはしなかった。「常識」をそのまま信じていた。だがあえて自分の身体で実験をしてみると、その「常識」はみごとに打ち破られた。おれにとっては4時間半くらいの睡眠がもっともQOLの向上に資する。

 

 「常識」を疑い、わが身をもちいて検証せよ。

 

 これがおれの最近の行動指針だ。

 

 みなさんも妙な恐怖感を抱かず、あまり寝ずに、暮らしてみてください。手に入れる余暇が倍以上に増えます。ゲームでも勉強でもなんでも、好きなことをやったらよろしい。それだけであなたたちは成功者になれます。なにせ他の人よりも「生きる」時間が増えるのだから。すぐに差が出ますよ

 

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睡眠中のボーフォール公を守護するラウル・ド・ブラジュロンヌ

 

世界を征服したら制定したい法律 トップ3

 おれがその勇気膂力をもってして世界を制覇する日はそう遠くない。そのためおれが地球の玉座についた際、いったいどんな法律を定めるつもりでいるのかを紹介することは、決して無益ではないと確信する。今回はおれが普段胸に秘めている立法家としての側面を諸君に開陳するつもりでいるのだ。おれはこれでもギリシアの哲人たちに法を学んだ男であるから、力強い起草文を書いてみせるよ。弁舌もさわやかにみなを説得してみせるよ。世界はこれからおれのものになるよ。諸君、待っておれ、ただ待っておれ

 

第3位 帯剣の義務化

 

 およそ男と生まれたからには剣を帯びずにどうしようというのか。貴族であればなおのこと、戦争にも決闘にも剣は必要だろう。つまり、義務を果たすのにも、恋を愉しむのにも、剣は要るということ。だから、絶対、生きるのに剣は必要であるってことがおれは言いたい。だのに諸君はどうした、剣の代わりに黒いカバンをもって、「奴隷の服」とわれわれが揶揄するスーツなど着こんで、そんでそのまんま奴隷貿易船なみに酷いすし詰めの電車に乗って毎日死んだ顔をしておるじゃないか。「ビジネス」と言うと聞こえはいいが、そんなのはお笑い草だよ。諸君がやっているのは「ビジネス」じゃなくて株主のお手伝いさんなんだからね。

 そこへくると剣の時代が(おれが世界を統治する世紀が)やってきたら愉快だよ。通勤ラッシュなんてのはなくなるからな。なにせみんながみんな剣をがちゃがちゃいわせているのだから、満員電車というのは成り立たないよ。貴族の名誉にかけて、電車のなかで肩がぶっつかったりしたら、決闘を挑まなくてはいけないのだからね。決闘のできない貴族は腰抜けとして、一生社会から排斥される運命なのだからね。つまり、電車はがらがらになる。どうだい、快適だろう

 

第2位 婚前の生殖機能検査の義務化

 

 家畜のオスとメスとをかけあわせる時は、お互いに相性のいい身体をもっているかどうか、博労(ばくろう)がくまなくチェックする。四肢に欠損はないか、傷はないか、病気はないか、頑丈であるか……等々。それと同じように、人間だって動物であるから、子孫を残そうというのなら身体検査をやらない手はない

 自治体がよく婚活パーティだのコンパだのといろいろ取り組んでいるが、あれはダメだな。あんなのはなんの役にもたたんよ。政府として日本国民の末裔をつくろうというのなら、徹底しなきゃさ。

 つまり、若い適齢期の男女(14歳~18歳)を一か所に集めて、全員を裸にひんむいて、それぞれがそれぞれの相手の肉体をすみずみまでチェックする場を設けるのだな。そうすれば不幸な結婚というのはなくなるよ。少なくとも子孫を残すという使命はうまく果たされるに違いないよ。身長や体重、腕の長さ、脚の太さ、生殖器の具合、発するフェロモンの多寡、などをようく知り、比較した上で、慎重に結婚相手を決定するのがよいのだ。熟練の博労が上手に家畜を選別するのと、一緒だ。

 だれにも選ばれなかったらどうする? もし、それでも結婚相手が見つからなかったら? おれなんかはそっちの組に入りそうなものだが。大丈夫。安心せよ。いつの時代も優れた詩人というのは地上に席をもたないものだ。神々の玉座の隣にはべっているものなのだ。そういう、男女の寄り合いであぶれてしまった者たちの救済策は、ちゃんと考えてあるよ。救済? いや、救済どころじゃない。結婚しない者たちこそ、日常の雑事を離れて華々しい仕事をやりとげられる、人類中の勇者たるべき人物なのだから、おれはおおいに尊重する。

 結婚しなかった者らは、大学、大学院に類する教育機関――ゲルタ・ストラテジーアカデメイアに入学する。そこでギリシア語、ラテン語ヘブライ語パーリ語サンスクリット語を学び、政治術を身につけ、経済を支配する技法を獲得し、剣の腕を鍛え上げ、物理学をマスターし、数学にかけては専門家となり、正しい信仰を抱いて人格も磨き上げ、と……一言でいって、「選良・エリート elite」に仕立て上げられるのだ。そうした独身の騎士たちこそ、華々しきわが治世を担う勇者となるのだ。

 さらにかれらは現役を引退したのち、のちの世代の教育に携わる義務を課されるわけであるが、その際にはギリシア式にやることをおれは命じる。すなわち、とくに目をかけている生徒たち――少年少女に対しては、これをよく可愛がり、夜は寝床も共にするよう奨励するのだ。従順な生徒らは賢者に肉体でもって仕えることとなる。賢者はそれに応えなければならない。諸君、独身の賢者たちは、愛欲を十分に満たしながら、弟子たちを一流の貴族にしてやらなくちゃならん。これぞ最良の教育システムだ。

 

第1位 食料品の無償化

 

 食料品は無償で提供されるべし

 

 これほどテクノロジーが発達した世の中だ。ありったけの技術を注ぎ込んで実現すべきは、糧食をタダにすることだ。これこそが人類最大の福祉である。実現可能なのに、まだ実現しやがらない。とんでもない世の中だよ、この21世紀は。おれみたいな僭主が現れない限り、不可能なのだ。本当は「可能」なんだが、資本家たち、古いシステムにすがる支配者たちは「不可能」と言い張り、おのれの利益を守ろうとしているのだ。

 栄養をタダで摂取することができるようになれば、それだけ人類には余暇が生まれる。米飯のためにあくせく卑しい経済活動に精をださなくて済むようになる。すると、素晴らしい結果が生じてくる。暇というのは人類を飛躍させる翼だ。暇があればこそ、人間というのは思索し、行動し、創造し、神々の業績にも比すべき大事業をやってのけるのだ。労働は人を卑しくする。閑暇は人を高貴にする。これがおれのモットーだからな。

 食事が無料で提供される国家は、善き社会をその内部に形成する。哲学や科学、美学が発展・展開する豪華絢爛な時代をもたらす。わが国家の文学は新たなるステージに突入するホメロスへの回帰がおこなわれるだろう。科学は西欧を圧倒しこれを打ちひしぐ。あらゆる魔術めいた事象が「可能」となるだろう。美学は数世紀先の人類の規範すら提示することとなる。音楽・絵画・舞踏などの「黄金時代」がやってくるに違いない。これらはすべて、暇があってこそできることなのだ。暇をつくりだすことこそ、統治者の急務。おれはそれを自覚している。尊き国民諸君を、暇にしてやる

 

 さあさあ、おれがこの地上に王者として君臨する日は間近に迫ってきているんだぜ。

 もしかしたら、明日かもしれんよ。

 覚悟しておくべきだろうな。

 もうできているって? ――勇ましい奴め!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おれがブログをはじめたきっかけ

お題「ブログをはじめたきっかけ」

 

 おれがブログをはじめたきっかけはなにかというと、浅はかな名誉欲だったと思うよ。おれは中学二年のころからnumeriとかロジパラとか侍魂読みだして、探偵ファイルに深入りし、あの吉野家コピペには「あたかも、よし」と感嘆していた人種だからね。テキストサイトで名声を博したかったのだ。大学に進学したらおもしろおかしい文章を書き連ねて、みんなの人気者になろうと画策していたのだ。

 

 でもそれはできなかったよ。かれら優れた著者みたいに、呼吸をするように愉快な文句をひねり出していくことなんて、おれにはとうてい無理だった。なにせ、田舎から出てきたばかりの粗野な牧童だもの、気の利いた言葉など一つも知らないんだからね。

 

 つまるところ、ボキャブラリーが圧倒的に不足していたんだな。このことにわりとすぐ気がついたおれは、意気消沈しながら暗い学生生活を送っていたように思う。

 

 そんでも若さというものは偉大だ、人間を行動させずにはおかないのだからな。おれは古今東西の「古典」と呼ばれる書物を読み漁りはじめた。流行の作家の娯楽的小説でもなく、安易な自己啓発本でもない。あくまでおれは「古典」にこだわった。おれはおれなりにちゃんとしたロジックをもっていたのだ。どういうことかというと、昔から「貴族」とか「」とか呼ばれる人種は「教育(=古典)」をないがしろにはしていなかったという事実がある。おれはそれを知っていた。「教育」さえあれば世の中をアッと言わるようななにか大それた詩を残すことができるのだ。だって、そうだろう。世界史の教科書に載っている人物はみな、無学な奴隷の子ではなく、家柄と財産と学問と剣に裏付けられた、立派な英雄たちなんだからな。かれらが世界を驚かせ続けてきた。それが人類の歴史だ(と、おれは思ったわけだ。その時点では。本当は、歴史なんてものはイカサマイカサマフィクションの醜いパズルに過ぎんのだろうぜ)。

 

 おれはおれの思春期に大きな影響を与えた、下品で粗野で愉快な作家たちの仲間入りをしたかった。かれらもまた、見方によっては偉大な詩人なのだからね。numeripatoさんだってありゃスゴいじゃないか。たまに新宿へ行くと、ロフトかなんかでかれがイベント打ってるもんな。ずいぶんと長く人気を保っていられるものだよな。それもひとえに、かれの学識と諧謔の巧みさに因るものなのさ。その二つの要素を備えた口からのみ、陽気な詩句は矢継ぎ早に飛び出すのだから。

 

 そんでもまあ、おれが人並みに読書できたかといえば、どうだろうね。自信はまったくないのさ。生来の怠惰と、負け犬根性がおれを破滅させてしまったと見るべきだろうな。まったくおれひとりの責任だよ。なにせ、現実問題、おれはたいした仕事を残していないのだからね、詩の分野で。未練がましく、せこせこと毎日なにかしら文章を残してはいるものの、詩神たち(ムーサイオス)は無慈悲なもので、おれの作品に「魅力」という黄金を注ぎ込んではくれないのだ。

 

 名誉! それはおれが人生で一番大好きなものさ。人間、あらゆることを空想するものだと思うが、とりわけおれがよくやる空想は、莫大な金を得てはこれを友人にくれてやり、素晴らしい地位を得てはこれをためらわず捨て、最後に残った「名誉」の二文字のみで人類史に輝かしい足跡を残す。これだね。おれは案外野心家なのだな。名誉を愛好する種族というのは、独裁者か負け犬か、そのどちらかの結末を迎えるものだと相場が決まっているのだが、おれはためらわずこの道を行く

 

 おれはゲルタ・ストラテジーがいつか「あの東野猛が遍歴時代に綴っていた文章だぜ、恐ろしいもんだ」と言われちまうようなになるつもりさ。どういう形でそれを実現するのだ? と訊かれたら、困っちまうが……。とにかく、四肢は綿毛のごとく軽やかに動くおれ、眼光鋭く世界を睥睨するおれ、剣の腕ではいかなる古豪をも唸らせるおれが、なにもしないまま終わっちまうなんてこと、ないだろう。

 

 いや、どうだかな。それもまた一つの結果かもしれんな。おれは業(カルマ)を当然のごとく信じているし、その強大な力にはどうしたって抗えないこともよく知っている。おれの思考、行いが卑しければ、自然卑しい結果がついてまわるだろうぜ。

 

 力の充実は、大事だ。だがそれ以上に、あらゆる希望に期待を抱かず、あらゆる事象に諦めの心をもって接する。そんな静けさもまた、悪いものではないかもしれんと思う今日この頃なのだな。名誉ばっかり追い求めるのは、苦しいし、むなしいよ、存外

 

 諸君に歓喜に満ちた挨拶を送る!

 

 ごきげんよう! 今日を生きよ! よく生きよ!

 おれはおれなりの生を送っているぞ!

 諸君! わが同胞よ!

 怠けず、打ちひしがれず、誇りある生を!

 怠けず、打ちひしがれず、誇りある生を、だ!

 

「2018年に買ってよかったもの」

今週のお題「2018年に買ってよかったもの」

 

5位 冷蔵庫

 

 今年、冷蔵庫をやっとこさ買ったよ。おれがいまの城に移り住んでから2年が過ぎたが、まったく、それまで冷蔵庫なしでやってきたというのだからわれながら恐ろしいよ。冷蔵庫を導入してなにがよかったかって、食費がずいぶんと削減されたんだな。これまでおれは牛丼か二郎か、あるいは絶食するかというそのまんま野武士の生活をしていたんだが、いまやパスタなんかつくっちゃうもんな。洗練されたものだよ、おれも。まさか王侯のおれが料理をする命運にあるとはついぞ思わなかったな、生まれてこのかた。

 

4位 ラップトップ(2台目)

 

 ラップトップ(ノートパソコン)、以前からASUS製の可愛いやつを愛用していたのだが、どうも、こいつは軽くてバッテリーが長続きするという長所がある反面、原因不明の挙動不審を起こすから信用ならない場合もある。おれはさる婦人に定期的に詩を送りつけておるんだが、この「定期的」というところが重要で、クリスマスが過ぎてからクリスマスプレゼントを贈っても興ざめであるように、おれの詩もまた期限を守って送付されねばならない類のものだ。ゆえに、作業用のラップトップは信頼に値するものじゃなくちゃならん。だからまあ、いちおう保険としてAmazonで2台目のラップトップを買ってみた。中古の、東芝製のビジネスモデルのやつで、でかくて堅牢なつくりだ。スペックは十分おれの要求を満たしているから、おれはこいつに満足している。もっとも、ASUSの相棒ほどには愛着を抱いていないがね。

 おれの詩の威力か東芝の貫禄かわからんが、最近その婦人は、おれに意味ありげな流し目を見せてくれるようになったよ。まこと、順調な恋路ほど楽しいものはない。四行詩を打ち込むタッチ・タイピングの手さばきも、ついつい勇ましくなろうというものだ。先日機会を得ておれの詩を磯山に読ませたら、それなりに好評を得た。かの詩人に太刀打ちしようなんて、おれは毛ほども思っちゃいないが。おれの専門は詩じゃなくて剣なのだ。

 

3位 モンスターボールplus

 

 おれがポケモンGOをやるなんて意外だろう。おれだって意外に思っているよ。おれはあんまりゲームについて語らないが、じつはゲームにはかなり複雑で強烈な感情を抱いているよ。つまり大好きだし大嫌いなんだな。具体的に言えば、その蜜のごとき快楽はおれをおおいに酔わせてくれるけれど、麻薬のように依存しちまうから意図的に遠ざけるようにしている。ゲームがあったら二日三日は寝ないものな。でもその後、セーブデータを消したりしてなんとか依存を断ち切ろうとする。おれとゲームは常に冷戦状態にある。たまに偶発的な武力衝突が行われるのだ。

 だからおれのポケモンGOの楽しみ方も、はっきりしている。モンスターボールplus発売後、すぐに購入して起動、アプリと連動させ、秋葉原-新小岩間を数時間かけて走破。この間つかまえたポケモンはおよそ200匹かそこいら。ポケモンを乱獲して楽しんだら、もうあとは捨て置く、というわけ。長く依存しない。これがおれのゲームとの付き合い方だ。今年遊んだゲームのなかで、一番おもしろかったのがポケモンGO(と、いうよりも、モンスターボールplusのオート乱獲機能)であった。

 ポケモンを捕まえるみたいに、おれも歩くだけで大衆を教化、訓練し、死体のごとく従順な軍人に仕立てあげられないものか、と常々思っているよ。神々の兵隊として生きること、真理王の寵愛を受けて生きること、これこそが人間にとってもっとも得難い幸福なのだ。その機会に恵まれた者をこそ、本当の果報者とおれは呼ぶ。


2位 AVIREXの赤いレザーパーカー

 

 おれは貴族だがどちらかと言えば宮廷よりも戦場に似つかわしく育った男で、たわけた服飾品よりも拳銃や馬や従者のしつけなどを気にする性質なのだ。しかし、それでも今年手に入れたAVIREXの赤いレザーパーカーは特筆すべき購入品だ。おれが手に入れたのはゴートレザーの真っ赤なジャケット風のパーカーで、質感はよろしく、着心地は抜群、防寒性もよし、なにより見た目がイカしている逸品。赤いストライプのシャツにネクタイをビシっと締め、白いジーンズをバリっと履きこなし、赤いブーツを履き、そしてこのパーカーを羽織ればもう立派な一匹のドン・ジョヴァンニが出来上がりだ。おれのこのパーカーは高円寺の古着屋の店主をして「おれによこせ、その品は物の価値のわかるおれにこそふさわしいのだ、貴公のような荒武者よりも、放蕩を旨とするわれわれの種族にこそ与えられてしかるべきものよ」と言わしめたほどのもの。イギリス王弟殿下付きのとある公爵から送られてきた品で、十五ルイほど支払ったがいい買い物だった。

 

1位 アパートの一室(を家賃払って借りていること)

 

 結局、この年齢、この時代、このタイミングで東京に住むということが、なににも代えがたい一番の財産だとおれは思う。

 なにをするにしても、ここに勝るエリアはないのだ。オペラが見たい? よろしい、東京へ参られよ。希少本を手に入れたい? よろしい、東京へ。貴族社会へ入門したい? ならば、東京へ。友を選ばば? 東京にて。有名な画家の来訪だ。しかし、東京に。かの男の講演会は? 東京の会場でやっておる。日本最前線の瞑想指導者は東京に住んでおるし、結局、政治も経済も文化も宗教も、国内一流のものはだいたい東京さ。

 まあしかし、厳密に考えると、京都でもいいし名古屋でもいいのかもしれん(そちらにもやはり、一流のものはある。物量では東京にかなわないとしても)。言いたいことの要点はつまり、埼玉の田舎に引っ込んでいるよりも「都市」へ出てきてしまったほうが、転がっているチャンスに多くぶち当たるのだな。とりわけ、「遍歴時代」にあたる年齢のわれわれにとっては、そうだよ。聖イケダハヤト老師のように、早々に田舎引っ込もうなんてことは考えられないよ。だっていまそんなことしたら、単純労働者以外の道が閉ざされてしまうからね。とにかく、技術を磨きチャンスを得る。これが東京でのミッションだ。おれたちはわくわくしながら東京の日々を送っているよ(本当は気づいているよ。いまの時代、呼吸をするように自然に海外へ出て学問を身につける=留学することのできない人間が、次代のエリートたりえないことくらいは。おれたちは晩年まで、AIと仕事を奪い合いながらみじめに暮らすかもしれん)。

 

 

 いつかは征服するがね。東京も、ゲルタ・ストラテジー・パンデモスのとるに足らない一部分、さびれた田舎に変わるだろう。そして埼玉県深谷市が王都となる日本のパリと呼ばれることとなるだろうな。深谷ふっかちゃんなんてのは、言ってみればサモトラケのニケみたいなもんだからな。あれは着ぐるみが美術館に展示されるよ。ありし日の深谷を偲ぶよすがとして。エウロペ―の裔の子らがギリシアをあらゆる文物の源泉と見たように、われわれゲルタ人も、埼玉県と深谷地方をこそ母なる故郷と思いなす日が来るだろう。

 

 

リーガルVというドラマを見たらヤバかった話

 最近おれはサウナが大好きで、3日に1回くらいのペースでサウナ付きカプセルホテルに通っている。熱いサウナと冷たい水風呂を交互にキメて、ベンチで腰を下ろして休んでいると「ああ、キタ、キタ」、と禅定(サマーディ)状態に入る。そんなのがおれの平日の、いじらしい小さな愉しみなのだが、ひとつだけこの娯楽にふけるにあたって生じる解決不能の悩みがある。

 

 それは、サウナに入るとどうしてもテレビを見ざるをえない、ということだ。

 

 おれはテレビはあんまり好きじゃないもんだから、サウナ・ルームに備え付けられたテレビ・モニタには視線を向けないようにしているのだけれども、音はどうしても聞こえてくる。サウナ中、ずっと耳をふさいでいるのは辛いしな。音が聞こえてくると、やっぱり画面のほうも気になってきてしまう。そんで、油断するとちょっとテレビに見入っていることがある。

 

 先日、サウナの熱気に耐えて頑張っていると、飯をあんまり食わないからふらふらしてくるし、精神が浄化され神秘的な領域が見えてくるしで、大変愉快な状態だった。そんなときはたいてい、おれはオリュンポスの神々と交信することにしている。その日もおれはメントールに扮したパラス・アテーネーと会話していたのだけれども、テレビの音が会話に割り込んでくるものだから、交信とテレビの内容がごちゃまぜになってしまい、とんでもない幻覚が見え始めた。テレビ・モニタに映っているのは「リーガルV」というドラマだったのだが、そのドラマの世界をギリシアの英雄たちが侵略していったのだ。

 

 だから、おれが視た「リーガルV」は世界中でおれしか視たことのない特別製のリーガルVであり、現在放映中の本物のリーガルVとは似ても似つかない物語を展開していった。だいたい、話は次の通り。

 

 主人公、広末涼子は弁護士資格をもたないヤブの弁論家であり、弱者救済を旨とする慈善団体的法律事務所を経営している。そんな彼女のもとに、ある依頼が舞い込んでくる。それは、

 

結婚詐欺集団を壊滅に追い込んでほしい

 

 というものだった。よくよく依頼者から話をきくと、どうも組織的な犯罪の匂いがする。この数年で幾人ものさえない男女が「素敵な出会い」「幸福な結婚」「自分磨きで圧倒的成長」などといった文句を餌にセミナー・高額商品・コンパなどに多額の金子を支払わされ、あげく、得たものと言えば虚無、すなわち世の無常への気づきのみ。なんの成果ももたらされなかったのだ。広末涼子は悪しき詐欺集団許すまじと決起し、仲間を動員するが、なんとまあ法律事務所のさえない部下たちも詐欺の被害者だったというのだから情けない。

 

 広末涼子集団訴訟の実行により敵の先手を取る。しかし、敵もさるもの、すでに歴戦の法律事務所を味方につけていたのだ! その名も朝鮮民主主義人民共和国! そう、あの勇猛果敢な軍事国家北朝鮮僭主政権が日本の司法へ堂々の宣戦布告だ! 武器をとれ、人民軍の勇士たち! これはもはや民事裁判の域をとうに超えている。すでに国家間の熾烈な闘争へとフェイズが移ったのだ!

 

 広末涼子はこんなことで怖気ずく女ではない。

 

向こうが国家なら、それもよろしい。こちらだとて負けていられんわい!

 

 ロースクール時代の人脈を駆使して着々と同盟都市国家を参集させる広末! アテナイスパルタテーバイ、の三国が結集し、日本の厚木基地に軍勢を派遣する! 

 

 アテナイの将軍はペリクレス! アテナイの黄金時代を打ち立てた益荒男! アテナイ軍のしんがりを務めるのは賢者ソクラテス! 

 

 スパルタの将軍はレオニダス! 獅子のごとき膂力を起こる王者!

 テーバイの将軍はエパメイノンダス! モンテーニュの称賛を浴びた猛勇!

 

 だが、朝鮮民主主義人民共和国のほうが一枚上手だった! テポドンだ! ミサイルの発射スイッチが押されたのだ!

 

 混乱するギリシアの軍勢! そこへ現れたのは地球の救世主、若きエース麻原! 海よりも深い禅定(サマーディ)に至り、ついには超越人力を開発した異能力者

 

「無明の闇を超えて――テーラーヴァーダの実践により――ひとはだれでも超越人力を獲得することができる。さあ、修業しよう! みんな、怠けるなよ!」

 

 かれに加勢するのは宇宙の仏法を語る人民の教師、池田! 

 

「仏法は宇宙です。山があり川があり……わたしの話は哲学的で文学調で……マハーロー。アローハー。バカヤローだバカヤロー(憂国の義憤)!」

 

 さらには仏陀の生まれ変わり大川! 

 

ヘレン・ケラーです(降霊)」

 

 新興密教日蓮宗よくわからんのが同盟を組んで日本の国土を防衛する! こんな感動的なヒューマン・ストーリーを演出できるとは、さすが、テレ朝は違う

 

 

 

 と思ったけどやっぱり幻覚だったので、その日は早めに寝ました。

 

 

 

 

 

syamu_gameと心理学

 人間はあらゆるものに依存する。苦しみにさえも。

 

 syamu_gameの動画をおれが見はじめたのは、かれが長崎大麻の……じゃなくて、「長崎対馬の浜見塩」のあのオモシロ回を投稿していた時期からだ。夏だったよね。ありゃ、見るのが苦痛だったよ。面白い瞬間はたったの数秒だけだもんな。対馬を「大麻」と言い間違える瞬間と、ポテチをふたつ重ねて食おうとして、やっぱ諦めて、諦めた刹那かれに智慧の女神ポイボス・アポローンの託宣が下りてきて、ひらめき、二種類のポテチそれぞれの袋から一枚ずつポテチをとりだし、食う。そのシーンだけだった。そのシーンのためだけに、他の退屈な場面を何分も見なきゃならなかった。端的に言って人生の浪費だし、どうしようもない。

 

 そんでもあの動画はなんだかそのあともずっと忘れられずに、機会のあるたびごとに見直していたんだからおれも相当な狂人だ。そう思っていた。けれど、どうやらそうでもないらしいことが徐々にわかってきた。おれ以外にも、この動画を嬉々として再生しまくる人種がこの世の中にはあるらしい。

 

 ようは、パチンコなんかと同じなんだろうな。本当にたまにしかやってこないビッグ・ボーナスを求めて、ただただ万札が飲み込まれていく苦しい時間を過ごす。その時間は本当に辛いのだけれど、頭の中では「当たる、当たる」と妄想しているものだから、思考上ではこの苦痛の時間さえも「楽しい時間の一部」として認識されてしまう。syamu_gameの動画は視聴するのが大変苦しいのだけれど、ビッグ・ボーナスも確かに存在するから、ついつい、ハマってしまうのだ。時間という名の、万札なんかよりもずっと貴重な財産をパッキーにぶち込み続けてしまう。

 

 そんな救いようのないギャンブル中毒者こそがsyamu_gameの主だった視聴者層であり、おれもまたそんなしょうもない連中の仲間だったのだ。

 

 だが、ちょっと待ってほしい。よく考えてみよう。およそこの世の娯楽とされているもののなかで、このシステム(苦痛の中にビッグ・ボーナスを混ぜること)をもちいていないものがあるだろうか? ……よくよく考えてみようよ。どうだ。ないんじゃないのか?

 

 たとえば、二郎系ラーメン。ありゃ苦痛だろうぜ。胃をぱんぱんに膨れ上がらせて、吐き気と腹痛をこらえながら、時には目尻に涙すら浮かべて麺をすすらなきゃいけない。それでも時々感じる豚のアブラの甘みカネシの辛さのハーモニーが、いわばこの食欲のパチンコにおけるビッグ・ボーナス。これを求めておれたちは黄色い看板によろよろと立ち寄ってしまう。店外に香るニンニク・スメルを嗅ぎつけようものなら、胃の腑の奴がギューッと収縮して、「おれにあの脂肪と塩分の快楽をおくれよ」と駄々っ子みたいに泣き叫ぶじゃないか。入店、注文、着丼、完食、帰宅の流れを注意深く観察してみると、しかし、やっぱり快楽の瞬間というのは瞬く間に終わってしまう。長い苦痛のなかに、ちょっぴり快楽が混じっている。それだけのことなのだ。二郎系ラーメンに関わる時間のうち、いったい何分が、いや、何秒が本当に「楽しい」時間なのだ? それを考えるとおれは、恐ろしくなってくるよ。注文が楽しい? いや、それは「妄想」の結果だと思うよ。「注文したらラーメンが来る」という、己の狭い経験にのみ基づく、実に根拠の薄い妄想が「注文=楽しいこと」と錯覚させるのだ。だって、コワモテのラーメン職人に食券プラスチックプレートを示して妙な呪文を唱えるのなんて、それだけ取り出してみれば、ぜんぜん娯楽になっていないじゃないか。「注文」フェイズだけやりたいです、ラーメンは要らないですって人、いないだろうに。

 

 このように、例をあげようと思えばいくらでも挙げられる。食事以外にも、恋愛、生殖、飲酒、賭博、運動、競技、学問、会話などなど……考えてみれば、どれも「快楽はちょっぴり、苦痛はマシマシ」ってのがその正体じゃないか。「いいや、全編通して快楽ですよ」というのは、やっぱり妄想なんだよ。じゃあその全編の、おれの指定する一部分だけを取り出して毎日実行してみなさいよ、とわたしは言いたい。もっとわかりやすいたとえで言えば、「絶対にアタリがでないパチンコを3時間プレイしてみなさいよ」と。苦行でしょう。楽しくないでしょう。でも、それが真実なんだよ、きっと。おれたちは「娯楽」と称して、そのじつ苦行をしていることのほうがはるかに多いのだ。

 

 裏を返せば空海著・密教経典『釈牟_偈無 心経』頻出の語)、娯楽をつくり、それによって金銭を得ようと考えている人々は、そう難しく頭を悩ませる必要はないのだってことさね。syamu_game動画が与えるあの耐えがたい苦痛ですら、条件がそろえば人間は「これは快楽だ」と錯覚してしまうのだから。だから、まずはへたくそでもいいからなにかつくって発表することだよ。退屈でもなんでもいいのだ。いま、「娯楽をつくり――」と書いたから、「これはクリエイター向けに発した言葉なんだな」と誤解してもらっては困るよ。あらゆる仕事は娯楽を生み出す仕事だよ。医者でさえ、健康という、広い意味での娯楽を生み出すのだ。つまり、快楽をだ。でも、これまで見てきた通り、たいていの人間は苦痛のなかにちょっぴり快楽が含まれているだけで、「これは全体がすばらしい快楽だ、完璧だ」と妄想して見事ハマってくれるんだから、チョロいよ。

 

 苦痛のもたらし手であるあのsyamu_gameですら時の人となった。諸君も、なにごとをも恐れず、おおいに自己表現すべし。たとえそれが苦痛に満ちたものであってもよろしいのだ。まずは、着手せよ。そうすりゃなんとかなるぜ。これがおれの見出した心理学の応用だ。